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~EBMスタイル臨床行動支援のための情報サイト~
Blogger版 地域医療の見え方
薬剤師の日常業務に垣間見える地域医療の形を模索します。
[お知らせ]
2016年2月25日木曜日
2015年11月7日土曜日
平成27年度第8回薬剤師のジャーナルクラブ開催のお知らせ
本年度第8回抄読会を以下のとおり開催いたします!
ツイキャス配信日時:平成27年11月8日(日曜日)
■午後20時45分頃 仮配信
■午後21時00分頃 本配信
なお配信時間は90分を予定しております。
※フェイスブックはこちらから→薬剤師のジャーナルクラブFaceBookページ
※ツイキャス配信はこちらから→http://twitcasting.tv/89089314
※ツイッター公式ハッシュタグは #JJCLIP です。
ツイキャス司会進行は、桑原@89089314先生です!
ご不明な点は薬剤師のジャーナルクラブフェイスブックページから、又はツイッターアカウント@syuichiaoまでご連絡下さい。
症例24です。今回も山本@pharmasahiro先生に作成していただきました。以下山本先生のブログより転載です。
[症例 24:風邪予防にはどんな生活習慣が有効なのでしょうか?]
[仮想症例シナリオ]
あなたは, とあるドラッグストアに勤務する薬剤師です.
先月末から急に気温が下がり, いよいよ秋も深まってきたのかなとぼんやり感傷に耽っていたのですが,実はこのところ, 勤務先の上司、同僚、部下が皆次々と体調不良でダウンしていることが悩みの種でありました.
一人欠勤して, 休養して回復したのち, 職場に復帰できたと思ったら, 別の人がまた同じような風邪症状でお休みするなど, 薬局内に風邪が流行しているようです.
「このまずい流れをどうにかして断ち切らないと!何か有益なアドバイスが周囲にできないだろうか?できれば来店されるお客さん、患者さんにも役立てられるような情報はないのだろうか?そう奮起したあなたは, すぐにPubmedで文献検索をしてみました.
すると程なくして, 「風邪予防に対する運動の効果」なるタイトルの論文を見つけることができたので,早速その場で読んでみることにしました.
[文献タイトルと出典]
The effect of exercise on prevention of the common cold: a meta-analysis of randomized controlled trial studies.
Lee HK et al., Korean J Fam Med. 2014 May;35(3):119-26
The effect of exercise on prevention of the common cold: a meta-analysis of randomized controlled trial studies.
Lee HK et al., Korean J Fam Med. 2014 May;35(3):119-26
[使用するワークシート]
[メタ分析初めの一歩]
今回はメタ分析の論文です。メタ分析って何ぞや?という方は以下をご参照ください。
メタ分析、メタ分析、個人的な話で恐縮ですが、僕はブロボグラム(フォレストプロット)を見ていると落ち着くんです。もう病気かもしれませんね~。
風邪予防にはわりと、うがいが効果的のようです。でもポピドンヨードは使わない方が良いでしょうね~。(Am J Prev Med. 2005 Nov;29(4):302-7.うがい薬でうがいしたほうがよいのでしょうか?)
ビタミンCが風邪予防にいい?なんて話も聞きますよね。冬はとにかくみかんを食べれば風邪をひかない、なんてものすごいことをいう人もいるくらいビタミンC幻想は世間的に常識なわけですが、統計的な差はあまり明確ではないようです。(Cochrane
Database Syst Rev.
2013 Jan
31;1:CD000980 CMEC-TVビタミンCで、かぜは予防、治療ができますか?)
さて、では運動はどうなのでしょうかね。気になりますね~。
2015年10月24日土曜日
平成27年度第7回薬剤師のジャーナルクラブ開催のお知らせ
本年度第7回抄読会を以下のとおり開催いたします!
ツイキャス配信日時:平成27年10月26日(日曜日)
■午後20時45分頃 仮配信
■午後21時00分頃 本配信
なお配信時間は90分を予定しております。
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※ツイッター公式ハッシュタグは #JJCLIP です。
ツイキャス司会進行は、桑原@89089314先生です!
ご不明な点は薬剤師のジャーナルクラブフェイスブックページから、又はツイッターアカウント@syuichiaoまでご連絡下さい。
症例23です。今回も山本@pharmasahiro先生に作成していただきました。以下山本先生のブログより転載です。
[症例 23:新しい糖尿病治療薬で合併症を防ぐことができるのでしょうか?」
【仮想症例シナリオ】
あなたは, とある街の中小病院勤務の薬剤師です.
薬剤部にてデスクワークをしていると,
自分の担当している内分泌・糖尿病内科病棟のDr.より突然電話がかかってきました.
「MRさんからの情報で, 一番新しいSGLT2阻害剤が結構いい薬だって言われたから今度院外処方をしたいのだけれど, 近隣の薬局さんに在庫があるかどうか聞いてほしいんだ」
電子カルテを確認すると, 次の患者に対してエンパグリフロジン(ジャディアンス®)が処方される予定であることが判明.
[患者情報]
とくに目立った既往のない 40代半ばの男性
会社の健康診断がきっかけで2型糖尿病と診断されてまだ半年ほど経過したばかり
HbA1c= 8.3%
肥満(BMI=30)
メトホルミンとインスリンを使用していたが体重も血糖もコントロール不良とみなされ次の一手を考えていた.
とくに目立った既往のない 40代半ばの男性
会社の健康診断がきっかけで2型糖尿病と診断されてまだ半年ほど経過したばかり
HbA1c= 8.3%
肥満(BMI=30)
メトホルミンとインスリンを使用していたが体重も血糖もコントロール不良とみなされ次の一手を考えていた.
あなたは, MRがDr.にどんな情報を渡したのかを教えてもらい, それに基づいてPubmedを使って情報検索を行いました.
すると,
確かに該当する報告を見つけることができたので, 早速読んでみることにしました.
[文献タイトルと出典]
Zinman B, et al.
Empagliflozin, Cardiovascular Outcomes, and Mortality in Type 2 Diabetes.
N Engl J Med. 2015 Sep 17.
PubMed:http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26378978
PDF → こちら
(全文フリーで入手可能)
Zinman B, et al.
Empagliflozin, Cardiovascular Outcomes, and Mortality in Type 2 Diabetes.
N Engl J Med. 2015 Sep 17.
PubMed:http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26378978
PDF → こちら
(全文フリーで入手可能)
[情報を吟味するという事]
この論文について、多くの医療者の方が既にブログ等で批判的吟味を掲載されております。僕自身、この論文を吟味していて、ある言葉を思い出しました。
東京大学の平成26年度教養学部学位記伝達式における東京大学教養学部長 石井洋二郎先生の言葉です。
「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず…(中略)…「教養」というものの本質なのだ」
まずは、様々な情報に惑わされず、ご自身で批判的に吟味することをお勧めいたします。僕自身もこの論文はいろいろな情報に振り回されてしまったような気がしています。自分の目で論文情報の妥当性を吟味すること、これが薬剤師にとっての教養なのでしょう。
2015年9月18日金曜日
エンパグリフロジン(ジャディアンス®)の有効性~EMPA-REG OUTCOME~
SGLT2阻害薬エンパグリフロジンの心血管アウトカムに関する大規模臨床試験の結果が報告されました。結論から言えば、この論文の結果は今後の2型糖尿病の薬物治療を大きく変える可能性があります。以下、研究概要と結果に対する考察をまとめましたが、誤りなどございましたらご指摘いただければ幸いです。
[文献]
Zinman.B
et.al. Empagliflozin, Cardiovascular Outcomes, and Mortality in Type 2
Diabetes.N
Engl J Med.September 17, 2015 DOI: 10.1056/NEJMoa1504720. [Epub ahead-of-print]
[PDF]
[研究デザイン]
randomized,
double-blind, placebo-controlled trial
▶2重盲検ランダム化比較試験
[対象患者]
2
diabetes were adults (≥18
years of age) with a body-mass index (the weight in kilograms divided by the
square of the height in meters) of 45 or less and an estimated glomerular
filtration rate (eGFR) of at least 30 ml per minute per 1.73 m2 of body-surface
area
▶BMIが45未満で18歳以上の2型糖尿病患者(eGFRが少なくとも30 ml/min/1.73 m2)
All the
patients had established cardiovascular disease
▶全ての患者が心血管疾患を有する
had
received no glucose-lowering agents for at least 12 weeks before randomization
and had a glycated hemoglobin level of at least 7.0% and no more than 9.0% or
had received stable glucose-lowering therapy for at least 12 weeks before
randomization and had a glycated hemoglobin level of at least 7.0% and no more
than 10.0%.
▶ランダム化より12週以前に血糖降下薬の服用なく、HbA1cが7.0%~9.0%、もしくはランダム化より12週間以前より安定した血糖降下治療を受けており、HbA1cが7.0~10%
[患者背景]
年齢
|
63.0~63.2
|
男性
|
71.2~72.0%
|
BMI
|
30.6~30.7
|
冠動脈疾患
|
75.3~76.0%
|
心筋梗塞既往
|
46.2~47.2%
|
HbA1c(%)
|
8.06~8.07
|
罹病期間10年以上
|
56.3~57.7%
|
ACEi/ARB使用
|
80.1~81.2%
|
スタチン使用
|
76.0~77.9%
|
メトホルミン使用
|
73.7~74.3%
|
インスリン使用
|
47.8~48.3%
|
[介入・比較対照]
empagliflozin
(at a dose of either 10 mg or 25 mg) versus placebo
エンパグリフロジン10mgもしくは25mgとプラセボを比較
▶プラセボ群:2333人
▶エンパグリフロジン10mg群:2345人
▶エンパグリフロジン25mg群:2342人
[ランダム化]
randomly
assigned in a 1:1:1 ratio to receive either 10 mg or 25 mg of empagliflozin or
placeboonce daily. Randomization was performed with the use of a
computer-generated random-sequence
[一次アウトカム]
The
primary outcome was a composite of death from cardiovascular causes, nonfatal
myocardial infarction (excluding silent myocardial infarction), or nonfatal
stroke.
▶心血管疾患死亡、非致死的心筋梗塞(silent myocardial infarctionを除く)、非致死的脳卒中の複合アウトカム
[統計解析]
the
primary hypothesis was noninferiority for the primary outcome with
empagliflozin (pooled doses of 10 mg and 25 mg) versus placebo with a margin of
1.3 for the hazard ratio
▶主要仮説はプラセボに対する非劣性の検討でマージンは1.3
For the
test of noninferiority for the primary outcome with a margin of 1.3 at a
one-sided level of 0.0249, at least 691 events were required to provide a power
of at least 90% on the assumption of a true hazard ratio of 1.0
▶パワー90%で一次アウトカムの必要イベント数は691
We
performed the primary analysis using a modified
intention-to-treat approach among patients who had received at least one
dose of a study drug.
▶非劣性試験のため修正ITT解析を用いている[結果の過大評価に注意]
[研究結果]
A total
of 7028 patients underwent randomization from September 2010 through April
2013. Of these patients, 7020 were treated and included in the primary analysis…Final vital status was
available for 99.2% of patients.
▶7028人をランダム化し、7020人をITT解析。(8人は治療を受けず)ロストはプラセボ群11人、エンパグリフロジン10mg群10人、エンパグリフロジン25mg群7人と致命的な影響はなし。追跡率は99.2%
The
median duration of treatment was 2.6 years, and the median observation time was
3.1 years
▶追跡期間は3.1年(中央値)
アウトカム
|
プラセボ
2333人
|
エンパグリフロジン
4687人
|
Hazard
Ratio
(95%
CI)
|
一次アウトカム
|
282 (12.1)
43.9/1000人年
|
490 (10.5)
37.4/1000人年
|
0.86
(0.74–0.99)
|
総死亡
|
194 (8.3)
28.6/1000人年
|
269 (5.7)
19.4/1000人年
|
0.68
(0.57–0.82)
|
心血管死亡
|
137 (5.9)
20.2/1000人年
|
172 (3.7)
12.4/1000人年
|
0.62
(0.49–0.77)
|
心筋梗塞
|
126 (5.4)
19.3/1000人年
|
223 (4.8)
16.8/1000人年
|
0.87
(0.70–1.09)
|
心不全による入院
|
95 (4.1)
14.5/1000人年
|
126 (2.7)
9.4/1000人年
|
0.65
(0.50–0.85)
|
生殖器感染症、増加が見られるものの、他の有害事象について大きな差はない。
なお尿路感染症は女性でむしろ減少傾向。
[考察]
この研究対象者は心血管疾患を有するハイリスク患者である事、新規糖尿病発症者ではないこと、メトホルミン併用例が多いことを踏まえると、新規糖尿病患者への第一選択としてのエンパグリフロジンの積極使用を支持するものではない。しかしながら、このようなハイリスク患者に対する糖尿病治療薬の大規模臨床試験で心血管アウトカムを有意に減らしているという結果は驚愕する。
近年報告されたDPP4阻害薬の臨床試験、EXAMINE、TECOS、SAVOR-TIMI 53ではいずれもプラセボに比べて優越性が示されなかっただけに、2型糖尿病治療薬としてのSGLT2阻害薬の立ち位置は今後大きく変わるだろうと予測する。
一次アウトカムの結果から考察する。本試験のThe primary hypothesisは非劣性である。そのため統計解析にmodified
intention-to-treatが用いられている点に注意したい。通常のITT解析に比べて修正ITTでは結果を過大に評価すると報告されている。(PMID: 26016488)非劣性を示す際は重要な修正ITT解析であっても優越性評価においてこの解析方法が妥当だったかどうかは議論の余地があるだろう。またサンプル計算で見積もられた一次アウトカムのイベント数は691であり、本試験では両群合わせて722のイベントが発生しており、想定されたイベント数よりも多い。そのため有意差が出やすい状況になっている。論点を整理しよう
・症例数過多
・修正ITT解析
この2つのポイントが一次アウトカムの妥当性をやや揺るがすように思える。結果のハザード比は0.86で信頼区間は(0.74–0.99)である。上限は0.99。上記で指摘したように結果の過大評価の可能性を踏まえれば有意差が無くなる可能性はあるだろう。それにしてもリスクは減少傾向にあり非劣性は示されるであろことに変わりはなさそうだが、この結果をもって著明なリスク減とは言えない印象もある。
一次アウトカム以外を考察しよう。一次アウトカムは複合アウトカムであったが、驚くべきことに、結果に大きく影響を及ぼしたのは『死亡』というハードアウトカムであった。心筋梗塞や脳卒中に有意な差は見られないのである。これは病態生理学的に考えるとやや矛盾しているように思える。これまで報告されていた厳格血糖コントロールの有用性に関するランダム化比較試験やメタ分析では総死亡は減らず、心筋梗塞は減るという結果が支持されていた。しかしこの研究ではこれまでの示唆に矛盾する結果となった。これはどういう事だろうか。糖尿病により大血管合併症が抑制され、心血管死亡が減るでなく、いきなり心血管死亡が減るという可能性を示唆している。病態生理と独立したメカニズムが存在するのだろうか。
イベントの先延ばし効果について見てみよう。この研究対象となった患者群は、日本における一般人口集団よりもイベントリスクが高いだろう。(MEGAstudyの冠動脈疾患5.0/1000人年)と比較すれば明らか) Primary Outcomeでは2年後にイベントを起こす人を6か月ほど先延ばし、総死亡では2年後にイベントを起こす人を1年ほど先のばす効果が見て取れる。さらに一次アウトカムNNTは62.5人/3.1年となっている。あくまで超ハイリスク患者を対象とした場合の結果ではあるが、この結果が真であれば、他の糖尿病治療薬の有効性をしのぐ値と言えよう。
[結論]
エンパグリフロジンを新規糖尿病患者における第一選択薬剤として推奨する根拠ではない印象である。しかしながら、メトホルミンをはじめとする糖尿病治療薬の有効性に関する歴史を塗り替える論文結果には違いない。注意が必要と思われるのは、「一次アウトカムの有意な減少」と言う結果には議論の余地があるかもしれない。また心筋梗塞や脳卒中を減らさず、心血管疾患を減らすという病態生理学的矛盾にも注目したい。
2015年9月13日日曜日
健康を目指すとどうなるのか ~第6回CMECワークショプ~
[やる気がるとうまくいかない]
むしろ何もしないことが、決定的に大事なことだった。やる気があるとうまくいかない。健康を目指すとはどういう事なのか。
もっとも幸せな状態はどれだろうか。
①健康に気をつけて、長生きした
②健康に気をつけず、長生きした
普通はここまでしか見えていない。しかしまだあと2つある。
③健康に気をつけて、早死にした
④健康に気をつけず、長生きした
健康に気をつけず、長生きした、まあそれが一番幸せなのかもしれない。何もしないで長生きできれば、誰でもそうありたいわけだ。しかし現実には「健康に気を付けて」というような健康への“やる気”を出すような思想が常識的価値観として存在する。
高齢になれば誰しもが慢性疾患や身体不条理を感じる。大事なのは、抱えている当該疾患が原因となって死亡に至るスピードと本人の寿命そのものスピードの、競争のゆくえ。多くの場合、前立腺がんでは寿命のほうが先に尽きてしまう。前立腺がんでは死なない。病理学的な癌と、死因としての癌は全く別物。生き死に関係ない癌の取り扱いが肝要だろう。すなわち、がんをどこまで放置するかという問題が大事である。いわゆるトンデモ医療といわれるがんもどき理論の問題はここにあるといえよう。癌はあいまいなものである。消える癌、死因となる癌。早期発見ではその区別が分からないのだ。
[権威の問題が世の中を変えないかもしれないけれど]
健康問題に関する優れた研究は多い。しかし研究の質と情報の拡散の関係は相関しない。普及するというのは、なにがしかの誇張を含んでいる。健康に関する質の高い情報を多面的に伝えるのも医療者の重要な役割である。だがしかし、権威がないと話している内容について全く信用されないし、権威があれば、話している内容が信用されているわけではなく、単に権威に基づいた説明にすぎないという現実がある。世の中何も変わらないのではないかとさえ思えてくる構造があるが、それでも質の高い医療情報を積極的に発信する必要があることには変わりない。
医療に期待して長生きを目指すのは、割に合わない挑戦かもしれない。すでに日本人は1980年に想定された理想の生命曲線を超えた。(N Engl J Med 1980;
303:130-135)[1]理想を実現してなおどこへ行くのか?75歳高齢者の平均余命はこの100年で大きく変わっていなかった。医療が高齢者の健康寿命延伸に貢献しているというのは幻か?
[大事なのはどうでもよさ]
健康寿命と平均寿命は相関する。健康寿命だけが延びているのではなく、不健康寿命も延びるのだ。寿命が延びたことがもたらすもの。病名をつけることで治療すると良くなるというような考え方に傾く。だがしかし長寿は確率の問題に過ぎない。健康で長生きすればよいのか?いつまでも長生きしたいというのは健康な考えか?不健康を包含するような健康感をもつことも必要であろう。
さて、健康寿命は誰がどう定義するか。どういった生き方にも価値がある。寝たきりで生きるのは価値がなないという世の中は大変な事だ。でたらめやるのも価値がある。様々なところで価値を見出すことで、その間に重要なものを見出したい。だいじなのはどうでもよさ。どうでもよい、という事になれば、支えはいらない。医療者が支える必要があるという社会が必ずしも良い社会ではないかもしれない。早く死ぬことに価値があると考えられること、そういった思想が良い面もある。介護の問題において、「自分の母に対して死んほしいと思っても良いですよ」という価値観を伝えたい。[2]むしろそれが医療者にとって重要な役割かもしれない。死んでほしいと思うのは生きていてほしいと思うから、だろう。
2015年8月26日水曜日
現象を救え!~医療において真の理論メカニズムは必要なのか~
Naは水と激しく反応するので、石油中に保存しておく。そんなことが高校の科学の教科書、そう、たしか無機化学のところに書いてあったような気がする。アルカリ金属であるナトリウムは非常に反応性が高い。ナトリウムは金属と言ってもごつごつ硬い物質ではなく、非常に柔らかい。カッターナイフで容易に切断可能だ。ごく少量のナトリウムを水の中に入れるとどうなるか。まあ理論上は以下の反応式が急激に進むことになる。
2Na +2 H2O → 2NaOH + H2…①
どうやら水素が出てくる。これが反応熱により空気中の酸素と結びつき「ボンっ!」と爆発、燃焼すると言われている。ようは水素が反応しているというわけだ。水素に火が付く、まあ言ってみれば水素爆発みたいなことが起きているんだ、と高校時代に思った。
この「ボンっ!」という爆発現象を僕たちは目で見て、耳で聞いて、それを知覚できる。しかし実際に①のような反応が一瞬で進行して、ナトリウムと水酸基がくっ付いて、水素がふわふわと出来上がり、それがなんだか“熱”なんていう得体のしれないものによって、急激な酸化反応がおきる過程を目視できるわけじゃない。爆発現象は観察可能だが、①の反応そのものは観察不可能だ。そもそも“Na”を見たことがあるかい?それはこの世に実在するのだろうか。便宜上、記号として置いたものなんじゃないの?
“Na”なるものが真に存在するのか、という議論を科学実在論争という。まあこの論争自体をここで掘り下げるつもりはない。非常に興味深いテーマだが、このあたりは僕の理解を超えている。いずれにせよ僕が知覚できたのは「ボンっ!」という現象だけである。この現象のメカニズムがどうあれ、水にナトリウムをぶち込んだら危険極まりないという事は分かる。だから僕はナトリウムなんてものが目の前にあったら、その場から一目散に逃げるだろうし、もしくはそっと灯油に浸すだろう。とどのつまり、「ボンっ!」という爆破の原因が水素爆発だろうが、まあそんなことはどうでもいい。
しかし、「原因なんざ、どうでもいい」なんて理科の先生が生徒に教えていたらどうなるだろうか。「いい加減なこと教えているんじゃない!」「科学の教師なのに実は知らないんじゃないの…」「ふざけているのか?」なんて言われるのは当然のことのように思える。しかし、僕はこの「どうでもいい」に案外賛成だ。
ナトリウムと水が反応して爆発が起きる原因、近年の研究で明らかになったのは電荷移動により生じたクーロン力の反発による示唆だ。
Mason PE.et.al.
Coulomb explosion during the early stages of the reaction of alkali metals with
water. Nat Chem. 2015 Mar;7(3):250-4PMID: 25698335
ナトリウムはイオン化傾向が非常に高い元素である。ここまでは高校の教科書に書いてある。このナトリウムが水と接触すると、ナトリウムから水に向かって電子が一気に放出されナトリウム内部は急激に正電荷を持つことになる。原子核は正電荷を帯びているため、強力な反発力は内部からナトリウムを一気に崩壊させる。体内から爆発してもうぐちゃぐちゃになるというイメージか。ナトリウムが針状に飛び散るという。ナトリウム自体は柔らかいので、原型をとどめることができずに内部から爆発するというわけだ。崩壊したナトリウムは水との接触面積を増大させるために①の化学反応が連鎖的に進むらしい。「ボンっ!」はクーロン力による爆発だった、まあそんなことが最新の研究で明らかになったわけだ。(解釈に誤りがあればご指摘ください)
この研究結果が真であれば「ボンっ!」のメカニズム理論はこれまでと大きく異なる。より科学の真理に近づいたという事であろうか。いや僕は心理に近づくとか、そういったことが重要ではないように思える。経験的に十全な理論を構築することでヒトはなんら問題なく日常生活をおくることができるといえば言い過ぎだろうか。科学的理論は現象を救うことができれば十分である、と言う考え方は臨床現場にフィットする。このような考え方が科学、それも化学の分野にフィットするかどうか、僕にはわからない。また医薬品開発の現場、基礎研究分野においてはフィットしないことも多々あるだろう。しかし、臨床現場においてこのような現象を救う理論こそ重視したい。メカニズムの真理がどこにあるかは大きな問題じゃない。あのいいかげんな理科の先生が言ったように「まあ、そんなことはどうでもいい」に案外賛成なのだ。
最新の研究結果で明らかとなる意外なメカニズムも、人間が知覚しうる現象そのものを大きく変えるわけじゃない。大事なのは、メカニズム理論にこだわることではなく、起こりうる現象の因果関係を適切に類推できることであり、経験的に十全な理論構築を重視したい。理論の真理を目指すことを否定するつもりはない、ただ僕はそんないいかげんな薬剤師なのだという事である。
[メカニズム理論が不要なわけじゃない(追記)]
思うところがあるので補足する。本稿の記述には反論もあるだろう。メカニズム理論は不要なのか、研究者はただの無能な存在なのか、理論メカニズムの追及は時間の無駄か、経験からしか現象を説明できないのであれば、経験できないことはずっとわからずじまいではないか…。
僕はそんなことを主張するつもりはない。本稿の理論を以下の2つの視点から擁護する。
①身体不条理に悩む患者を前に立つ医療者の立場と(非臨床)研究分野の一線で活躍する立場の違い
②メカニズム理論の多様性を認める立場であり、現象を重視するが一つのメカニズム理論にコミットしないという立場が理解されていいない。
身体不条理に悩み、それをどうにかしてほしいという患者を前に、とりあえず今できる思考プロセスはなんとか、その現象を救う事である。そのためにしばしば大事なのは、何をどうすれば現象の改善が、どの程度見込めるかという事であり、多くの場合で、その身体不条理を改善するメカニズムを論じることではない。ただし、仮説としてそれを長期的な観察により検証するためには必要なことだろう。メカニズム理論が想定できなければ医療の発展はない。これは研究分野の一線で活躍する立場にとって重要な問題と言える。
おおよそ立場の違いが、今必要な思考プロセスの差異を生み出すことは明らかであろう。したがって、ここでは理論が必要か否かと言う二元論は、その立場における必要度に応じて重視するか、しないかと言う問題に帰着する。また本稿ではむしろ理論は必要であると主張しているのだが、なかなか理解できない部分もあるだろう。要するに現象を説明するのに、経験的に十全な理論は必要だと主張しているのである。これが2つ目の擁護ポイントだ。
現象を重視することで、一つのメカニズム理論にコミットしないというのが僕の立場である。さらに一つのメカニズム理論にコミットしないことのメリットはメカニズムの多様性を認めることである。ナトリウムを水に入れると起こる「ボンっ!」と言う現象を水素爆発というメカニズム理論にコミットしている限り、クーロン力による爆発というメカニズム理論は永久に見えてこないだろう。しかし僕の立場はこのクーロン力による爆発というメカニズム理論にもコミットしない。それが「メカニズム理論なんてどうでもいい」という立場であり、「メカニズム理論なんていらない」と主張しているわけではないのだ。ではどんな理論が必要なのか。それは現象をうまく説明しうる経験的に十全な理論である。これはメカニズムの真理を否定もせず、そして追究せず、むしろ多様性を認める立場なのである。
2015年8月22日土曜日
続・僕たちの医療〜正しい医療とは何か〜
[根拠に基づかない医療は存在するか]
EBM(Evidence-Based Medicine)は、一般的に「根拠に基づく医療」と訳されます。「根拠に基づく医療」という概念が存在するのであれば、「根拠に基づかない医療」などという概念が存在するのでしょうか。僕はそのような疑問が提起されてもよいではないか、と考えています。そもそも基づくのか基づかないのかは別として「根拠」とはなんでしょうか。その定義によって、「根拠に基づく医療」と言う概念は大きく異なるかもしれません
EBMのバイブル「Evidence-based
Medicine;How to practice and teach EBM 4th ed」 1)にはEBMについて以下のように書かれています。
「Evidence-based
medicine (EBM) requires the integration of the best research evidence with our
clinical expertise and our patient’s unique values and
circumstances」
「EBMには医療者の臨床に関する専門知識と、患者の個々の価値観やその環境に、最良の研究データ(科学的根拠)を統合することが求められる」
ここでいう「最良の研究データ」とはなんでしょうか。僕たちが医療現場において、臨床判断の意思決定を行う際には、多くの場合でなんらかの“科学的根拠”があるはずです[1] 医薬品の用量用法は何を根拠に決められているのか、薬剤Aと薬剤Bの併用は問題ないのか、そのような問いに対する臨床判断に対して、多くの場合で、医薬品添付文書が活用されることでしょう。あるいは薬理学や薬物動態学等の教科書かもしれません。また、医薬品の効果について、製造元の製薬会社の学術へ問い合わせることもありますでしょうし、医薬品情報担当者の情報に基づくケースもあるでしょう。自分自身がこれまでに経験・実践してきた結果を踏まえることも意思決定の根拠となることだってありますよね。[2]
そのような根拠に基づけば、これまで僕たちが行ってきた医療とEBMは何が異なるのでしょうか。それほど大きな差異はないのではないでしょうか。今ここであらためてEBMと強調するのはいかなるわけなのでしょうか。現代医学・薬学はその正当性において科学的合理性に基づいてきたはずです。多くの場合で添付文書の記載事項が非科学的だとは思えませんし、教科書の記述が科学でなければ、医学・薬学という学問はそもそも成立せず、それは宗教や迷信の類と変わらないのではないでしょうか。
[科学と宗教と迷信]
科学と宗教、そして迷信の違いについて簡単に触れていきましょう。このテーマについては生物学者の池田清彦先生による「構造主義科学論の冒険」2)に詳しく述べられています。ここではそのエッセンスを簡単に紹介したいと思います。
科学とは端的に言えば、ある出来事と、ある出来事の関係を記述したものといえます。例えば、「水を熱すれば液体から気体となる」という記述は、水が液体であるという出来事と、水が気体であるという出来事の関係性を記述しているわけですね。この記述は将来を予測することが可能な形式です。例えば、明日、水を熱したとしても、おおよそ100℃に達すれば、その水は気体となるであろうと予測できます。このようにある出来事からある出来事の関係性を記述しているために、一つの出来事から、将来起こり得ることを想定できるのが科学的な記述形式と言えそうです。
一方宗教はどうでしょうか。宗教において将来を予測できるのはおそらく神だけではないでしょうか。宗教的な記述ではある出来事から将来を予測することが神以外にできないという構造になっています。では迷信と科学は何が異なるのでしょうか。迷信とは、合理的根拠がないにもかかわらず昔から習慣的、経験的に信じ込まれているような出来事であり、実はこれも将来を予測しうる記述形式にはなっています。
例えば、「敷居を踏むと出世しない」という迷信があるそうです。敷居は場所と場所の境界線上に辺り神聖な場所であり、その部分を踏みつけるのは作法として良くないということなんですね。この記述形式は敷居を踏むという出来事が、将来の出世についての予測を行っていることになっています。しかし科学と決定的に異なるのは、予測される将来の確度に他なりません。
僕たちが医療判断におけて、意思決定の際に用いる”根拠”は、明確に科学的といえるでしょうか。迷信とは言わないまでも、将来を予測する確度において、迷信的要素を全く含まないと断言できるでしょうか。科学、迷信、宗教という3つの区分において、実際にはその境界は曖昧であるという事は十分にありうると僕は思います。[3] 少なくとも科学と迷信の境界は明確に区分できるものではありません。将来を予測する確度がいったいどれくらいなら科学的と言えるのか、明確な定義は存在しないからです。
EBMでいう所の最良の研究でデータ(research evidence)、すなわち「科学的根拠」とはなんでしょうか。これは臨床に関連する研究を意味しています。1) それは時に基礎医学的研究に基づくものでもありうるわけですが、特に患者中心の臨床研究を重視するというのがEBMのスタンスです。科学根拠とは端的に言えば医学、薬学に関する「客観的情報」の事を指します。ここで重要なポイントは、科学、迷信の境界があいまいであるがゆえに、この世に存在する客観的情報は、はたして科学的記述なのか、迷信的記述なのか、疑おうと思えば、いくらでも疑うことができる、ということなのです。原理的にそうなので、疑えない情報は存在する、と言われようが人間には疑うことができてしまいます。[4]
病態生理や薬理作用に基づく薬剤効果は多くの場合で仮説にすぎません。EBMで重視する関係性の根拠に患者中心の臨床研究から得られた示唆[5]を用いるのは、そのような仮説的要素(迷信的要素)を極力排除するためであるといえるかもしれません。
[とんでも医療と正当医療の間]
薬の「効果」についてあらためて考えてみましょう。これは、いうなれば、“ある薬剤が薬理学的メカニズムをへて臨床的に知覚しうる現象を生じる”いわゆる臨床効果を引き起こすという一連の因果関係を示しているんですよね。薬剤が原因となって、結果としてアウトカムをもたらす。この因果関係を適切に記述できれば、薬剤効果を規定できるわけなんですね。
まあ当たり前のことなんでしょうか、この因果関係を記述する方法はさまざまあって、そのどれが正しいかは実は明確にはわからないという事は科学的、迷信的の境界があいまいなところからもお分かりいただけるかと思います。この薬剤効果という因果関係は大きく2つの記述方法に分けられると考えています。
薬剤のメカニズムを重視して因果関係を記述する方法、それと臨床的に知覚しうる現象を重視して因果関係を記述する方法の2つです。メカニズムといっても西洋医学的なものから東洋医学的なものまでさまざまですよね。代替医療ともなるとそのメカニズム理論はややオカルトチックですが、正当医療ととんでも医療の明確な線引きも難しいのではないかなぁ、なんてとんでもないことを考えているわけです。
薬理作用や五行説的なメカニズムを重視するのはいわゆる合理主義的な考え方かもしれません。この世の中のあらゆる知覚は疑いうるわけですから、薬剤効果を感じうる知覚を重視することよりも、理論的メカニズムを重視したい、そんな立場かもしれません。特定の理論に合理性があれば、薬剤効果を規定し、一般化できるはず、臨床的に知覚しうる現象にばらつきがあるのは、個人差や偶然の作用によるもの…。化学構造式の特性により薬理作用が規定され、それが生体に作用し、生化学的反応を引き起こす。これは実在論的立場とも言えましょう。
一方、臨床的に知覚しうる現象を重視する立場は(構成的)経験主義のような考え方かもしれません。端的に言えば、メカニズムなどの理論よりも自己の経験のほうを重視し、もっぱらそれによって物事を判断しようとする態度です。薬の作用機序がどうあれ、今現に知覚しうる身体不条理が緩和されたかどうか、まあそんなことのほうが大事だ、という立場で、目に見えない薬理学、生化学的メカニズムをやや否定的にとらえる反実在論的立場かもしれません。
どちらが正しい医療なのか、というよりはこれは立場の問題なのかなぁなんて考えていまいます。ただ、医療に対する思考的立場の違いは社会的問題にもなりうるのかなとも思います。代替え医療はとんでも医療なのでしょうか。鍼治療や漢方医療とホメオパシー、プラセボ効果、がんもどき理論…。それらはみな正当医療とは呼べないのでしょうか。現時点では化学構造式が臨床症状を規定するという現象すら明確に再現できないという現実もあります。
[疫学的、統計的思考へ]
薬剤効果という因果関係の再現性は頻度で比較するより他ない、というのが現時点での僕の結論です。薬によってどうなるか、それを知ることは原理的には不可能です。これは予言という形式だから、薬を投与する時点で明確にどうなるかを知ることはできないわけなんですよね。薬を使うとどうなりうるか、を統計的に推論するよりほかありません。要は再現性の頻度の問題に帰着するというわけです。
枚挙的帰納やアブダクションだけで、薬剤効果の因果関係を論じていることでは、とんでも医療と何がどう違うのか、実は明確に線引きできないのですね。アドホックな仮定を多用したヘンテコ理論であっても現象を上手く説明できることがあるんです。エカントという補助線を導入したプトレマイオス天文学のように。だから合理的理論、メカニズムを示すだけではとんでもか、正当かを明確に線引きできないのです。
おそらく、薬剤効果についての因果関係に関する再現性の頻度を知るには臨床医学論文を読むしかありません。疫学的アプローチにより、因果関係以外の関連の仕方を極力排除し、統計的思考を導入することによって薬によってどんなアウトカムをもたらしうるのか、その程度を類推することが可能なんですね。まずは論文、やはりここから
。
[参考文献]
1) Straus
SE.et.al.Evidence-based Medicine;How to practice and teach EBM 4th ed
2)池田清彦 構造主義科学論の冒険 講談社学術文庫1998 P26-30
[脚注]
[1] 慣習的に決められたことを前提とする意思決定の際には科学的根拠を伴わないと言えるかもしれない。しかし薬剤師の臨床判断において、たとえ慣習的と言えど、その裏には一定の科学的根拠の存在を前提としていると言えまいか。
[2] 過去の経験や観察パターンにより普遍的な法則を導く手法を帰納法と呼ぶ。例えば水は100℃で沸騰するという観察が過去に複数回経験されれば、今水を沸騰させても100℃で沸騰するだろうと結論することができる。
[3] 科学と科学でないものをどう区別するのか、これは科学哲学領域では古くからの問題で「線引き問題(demarcation problem)」と呼ばれており、明確に線引きできるただ一つの基準は現段階でも見当たらないと言われている。
[4] 合理主義哲学の祖であるルネ・デカルト(1596年~1650年)は「我思う、ゆえに我あり」すなわち疑う自分だけは疑えないと言った。
[5] もちろん、臨床研究だけではなく、生理学的な研究や非系統的な臨床観察もEBMにおける科学的根拠に含まれる。重要なのは臨床研究を重視するという事であって基礎研究を無視することではない。
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