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2015年1月3日土曜日

EBMって何でしょう?

あけましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。

昨年の暮れにEBMについていろいろ考えていたことをEBMの思想としてまとめさせていただきました。

地域医療の見え方「EBMの思想

薬剤師のジャーナルクラブ(JJCLIP)を共同主催させていただいている精神科薬剤師の桑原秀徳先生より、ご自身のブログに引用していただき、なおかつその内容を発展させていただき、とても興味深い示唆が展開しています。

hidex公式ブログ『はぐれ薬剤師のココロ』「EBMって何でしょう?

少し引用させていただきながら、思考の展開を試みてみたいと思います。
桑原先生は、EBMの思想に対して以下のようにまとめられておられます。

EBMを「主義や思想」にしてしまうと、それは必ず相容れない集団を生みます。」

これは非常に重要な指摘だと思います。EBMに関わらず、臨床判断、治療方針等、医療者同士での信念対立は日常的に生み出されています。

「例えばEBMをよく理解してない人は対立概念にNBM (Narrative Based Medicine)を持ってきたりしますが、NBMも結局どこにフォーカスするかの言葉の問題であって「EBMNBMの融合が大事で・・・」なんて言い出すと本当に意味不明なトンチンカンなことになりますよね?」

これはEBMNBMという二項対立が生み出す信念対立にほかなりません。二項対立、こういった図式は日常でもごくごく身近に生み出されます。たとえば、「赤」と「青」や「男性」「女性」のように。二項対立には「自己は正しく、他者は誤りである」というメタ認知が駆動しているという事に気付くことは重要かもしれません。あるテーゼの正しさをいったんカッコに入れ、判断停止する。オーストリアの哲学者フッサールはこれを判断停止「エポケー」と呼び、そこから、なぜ自己を正しいと認識したのか、その前提そのものを問い直すこと、これを還元という仕方で信念対立を解消するための思考プロセスを提示します。このような思考プロセスはいわゆる現象学と呼ばれる系譜に繋がっていきます。

フッサールはさらに『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』という書籍の中で「自然の数学化」という、とても興味深い示唆を述べています。(僕自身は原著を読んだことがないので受け売りですが・・・)

科学の進歩は、ヒトがかかわる現象を一般化していきます。それは数値で示せる客観的な指標として自然科学の体系を基礎づけてきました。科学の進歩によって、世界はすべて数学的に説明できるという信憑が一般に広がったわけです。そしてそのことが、僕らの生の意味というものをあまり深く考えないようになってきていると指摘します。つまり学問体系は、意味世界を排除することで、客観的な世界を説明するものとなってしまったというわけです。

このように自然の数学化は、数量的に示すことができる客観的物体世界とそれ以外の主観的世界に分裂していくことを引き起こしました。これは、哲学上最大の難問である主観、客観問題に発展していきます。そしてこの二項対立は自己と他者という二元論を形作ることになります。様々な宗教感、多様な思想、思考プロセスの違いが、信念対立を生み出し、時に人は争いを起こしてきました。

EBMはこうした二元論、あるいは信念対立を解消するひとつのツールとしても機能させなくてはなりません。人を幸せにすることがEBMの真のアウトカムであるのならば、繰り返しになりますが、EBMは医療者、患者、全ての人を繋ぐ架け橋として実践されるべきだと思っています。そのためにはEBMという仕方そのものにこだわることはあまり良いアウトカムを生まないような気がしています。

「そうか、EBMは呼吸法だったのか。」
桑原先生はそうおっしゃいます。EBMとは何か特別な臨床行動なのか。否、それは呼吸するのと同じように無意識的な仕方で行われるべきものであると。

EBMの実践が価値あるものとして取り出される背景にはそのベースとなる論文(エビデンスそのものに関心があるという事を忘れてはなりません。構造構成主義ではこれを関心相関性と呼びますが、ある行動原理の価値は、それを実践する人の関心により変動するものであるという認識は持っておいたほうが良いでしょう。EBMから構造構成主義医療へ、思考プロセスをメタレベルへ引き上げることで、エビデンスか、経験か、理論か、ナラティブか、そういった不毛な信念対立が解消できるのではないか、そんなふうに考えています。


本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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