[お知らせ]


2015年7月22日水曜日

平成27年度第4回薬剤師のジャーナルクラブ開催のお知らせ

※当ブログは運用を一時中止していましたが、今後はJJCLIPの活動に関する情報をこちらで発信してまいります。引き続きよろしくお願い申し上げます。

本年度第4回抄読会を以下のとおり開催いたします!
ツイキャス配信日時:平成27726日(日曜日)
■午後2045分頃 仮配信
■午後2100分頃 本配信
なお配信時間は90分を予定しております。

※フェイスブックはこちらから→薬剤師のジャーナルクラブFaceBookページ
※ツイキャス配信はこちらから→http://twitcasting.tv/89089314
※ツイッター公式ハッシュタグは #JJCLIP です。
ツイキャス司会進行は、桑原@89089314先生です!
ご不明な点は薬剤師のジャーナルクラブフェイスブックページから、又はツイッターアカウント@syuichiaoまでご連絡下さい。

症例21です。今回も山本@pharmasahiro先生に作成していただきました。以下山本先生のブログより転載です。

[症例 21:エゼチミブで心筋梗塞の再発は予防できるのでしょうか?]

【仮想症例シナリオ】
あなたは, とある病院に勤める薬剤師です.
今年度から循環器内科病棟に配属が決まり, 今日は担当となった患者さん(63歳男性)のところへ挨拶に行くこととなりました.

すると, 初対面の挨拶も終わらぬうちに, 患者さんから次のようなことを矢継ぎ早に言われてしまいました.

「薬飲んでてもでかい病気したんだから薬の意味ないじゃん!だから薬やめていいかと言ったらDr.にえらい叱られちゃったよ. おまけに薬まで一つ増やすと. まいったまいったよ. , その追加する薬を飲んでいれば心臓の病気を防げるのかな?薬を飲むのは自分なんだから, やっぱりちゃんと納得した上で飲みたいんだよね」と.

[患者情報]
50歳時より脂質異常症を指摘されてシンバスタチン10mg/日を服用
急性心筋梗塞を起こして, 当院に搬送・入院となり本日で5日経過
シンバスタチンに, エゼチミブを上乗せして治療を行うことが検討されている.

あなたは, 目の前の患者さんにとってエゼチミブの投与が有益なのかどうかを確認するために, 一次情報を検索したところ次のような論文を見つけることができたので, 早速読んでみることにしました.

[文献タイトルと出典]
Cannon CP .et.al. Ezetimibe Added to Statin Therapy after Acute Coronary Syndromes.
N Engl J Med. 2015 Jun 18;372(25):2387-97. doi: 10.1056/NEJMoa1410489. Epub 2015 Jun 3.

[使用するワークシート]
ランダム化比較試験を10分で吟味するポイント:

[僕たちの薬物治療]
エゼチミブは小腸コレステロールトランスポーター阻害薬で、小腸上部の刷子縁膜上に存在する Niemann-Pick C1 Like 1NPC1L1)のコレステロール輸送機能を阻害することにより、小腸からの胆汁性及び食事性コレステロールの吸収を低下させることが確認されています。ゼチーア錠 10mg 単独投与により LDL コレステロールを約 18%低下させ、スタチン製剤単独で十分な効果が得られない症例にエゼチミブ 10mg を併用することにより,LDL コレステロールをさらに低下させると製剤インタビューフォームに記載があります。

薬理作用機序も合理的、スタチンとの理論上の併用でさらに良い結果を生み出しそうな薬剤。スタチンでコレステロールが下がらない人への上乗せ投与に関して、違和感がないというのは薬理学的、病態生理学的に薬物治療を捉えているからです。

薬学部も6年制となり、現在学部でどのような教育がなされているか、僕は詳しくありません[1]
ただ一つ言えるのは、何かを学ぶという事は、混沌とした世界の中に分節線を入れ、コスモロジカルな仕方で規則的なパターンを発見し、整理していくという作業なのだと思います。言葉による分節の効果は非常に大きいと思います。[2]

薬物治療という概念は、大学に入る前の僕たちにとっては想像上の世界でしかありませんでした。その分節線は高校で学んだことや社会一般常識を除けば、ほぼカオスの状態だったと言えます。まあ当たり前ですよね。薬学と言う学問を学ぶために薬学部に行くんですから。

でも僕が薬学部で出会ったのは基礎科目、そして薬理学、病態生理学を中心とした考え方でした。もう一度いいます。薬物治療という概念はまずカオスだと思っていい。そのカオスをどう科学的に分節していくのか。ここで大きな問題があります。そもそも科学と、宗教や迷信との境界は曖昧なのだという事です。

[科学と迷信]
科学と迷信は共に、ある出来事から将来を予測するという構造になっていますが、異なるのはその予測の確度だと言えます。しかし一体、確度がどのくらいなら科学的と言えるのでしょうか。実は明確な線引きはありません。これは大変重要な示唆だと僕は思います。一見すると科学的な言明は迷信的要素をはらんでいる。少なくともそう疑うことができるわけです。

迷信的というが違和感があるなら仮説的という事にします。薬理学、病態生理学的理論から将来起こり得る現象を予測するのと、実際に生じた現象からの示唆(臨床研究)から将来を予測するのではどちらが科学的でしょうか。EBMが科学的根拠に基づく医療と訳されるのは、そう言う仕方で考えれば腑におちるのではないでしょうか。[3]

一見すると科学的な言明は、仮説的、科学的、両方の要素を含んでいるということが重要なのです。どんな科学的言明も原理的には疑いうるが、ヒトの確信の根拠となりうる言明は仮説的要素を極力排除した言明であることに違和感はないでしょう。しかし、仮説的要素でも合理的な理論であるほど、薬学臨床判断のベースに違和感のない常識を形作る。僕たちはしばしばその幻影に縛られ、前景疑問を見失うわけです。

大事なのは、いかに合理的な理論であろうが、それを鵜呑みにしないことなのです。デカルトのように疑う自分の存在以外全て疑えとは言いません。しかし、常識は疑った方がいい。そこには必ず仮説的要素をはらんでいる。いや、迷信的要素にみちている。と言っても過言ではないでしょう。科学もひとつの共同幻想。そういった認識が前景疑問を鮮やかに提起します。

[カオスに戻ろう]

原初の薬物治療概念、その混沌とした概念にどのような分節線を引くかで、その後の概念の考え方、捉え方はまるで異なるのです。冒頭紹介したように、エゼチミブの薬理作用を知り、合理的な薬物治療と納得してしまう。なぜ臨床疫学的思考にたどり着かないのでしょうか。

それについて、僕はひとつの仮説を立てています。[4]
病態生理学や薬理学を基盤に学んできた薬剤師の多くが、なぜ臨床疫学的示唆をにわかに信じがたいと思うのか、それは薬理学や病態生理学という思考方法で薬物治療という概念を分節しまくった結果だからにほかなりません。すなわちそれが既に薬物治療概念の常識として登録されている。常識から逸脱した概念は受け入れがたい。違和感を感じる。ではなぜ、そのような仕方で分節しまくったのでしょうか。

それは国家試験対策というシステマテックな勉強の仕方に大きく影響を受けているような気がしてなりません。臨床疫学的示唆は曖昧で正解がない。だから国家試験問題にすることはなかなか難しい。薬理学、病態生理学は体系化された理論科学です。正解がある。そして正解を得るための勉強法がシステマテックな仕方で構築されている。僕たちはただそれに乗っかってここまで来た。そして、失ったものが何か、そういったことを原理的に知らないまま臨床へ出たわけです。[5]それが4年制世代の薬剤師の本質ではないか。

原初の薬物治療概念に薬理学や病態生理学という思考法で分節線を引くか、臨床疫学的思考で分節線を引くかで、考え方はかなりかわるということは医学論文を多く読んできた人、EBMを学んだ方には痛いほどよく分かることでしょう。学部の授業で引かれる分節線が絶対的な真の薬物治療概念ではありません。むしろもう一度カオスに戻ることも必要なのです。そこからやりなおすことに抵抗がなければ、もう大丈夫です。もう一度カオスに戻ること、これまでの分節線を消しゴムできれいに消して、常識的価値観を捨てること、思考停止することなく判断停止すること。[6] 僕が伝えたいのはそういう事です。




[1] ですから、この記事を読んで、6年制って言っても授業内容はほとんど変わらないよなあ、って思った人、是非一緒に考える機会が欲しいなあと思います。
[2] ここでソシュール、なんていうつもりはありませんよ。ニーズがあれば、そんなお話をどこかでさせていただきたいなあと常々考えております。是非お声かけください。
[3] したがって科学的根拠に基づかない医療は確かに存在すると僕は思うわけだ。
[4] かなりの確度で正解かと思われます。
[5] 何が分からないのかさえ分からないのだから、そもそもそれを知ることが原理的にできないわけです。
[6]フッサール現象学でいうところのエポケーだ!