[お知らせ]


2014年12月24日水曜日

EBMの思想

[エビデンスの使い方、今年1年の思索]
医療と一口に言っても様々な方法論や考え方が存在します。僕ら薬剤師が関わる医療の方法論とて多岐にわたります。分類することの愚かさは重々承知ですが、しいて言えば基礎薬学的知見に重きを置いた方法論(化学構造式や病態生理に基づく考え方)や疫学的知見に重きを置いた方法論(いわゆるEBMはどちらかと言えばこちらでしょうか)また、近年話題に上ることも多い、「ワクチンはうたない方がいい」とか、「癌はほっとけ」というような、やや極端な医療の考え方もあれば、漢方医療、風邪への抗菌薬投与、あるいはセルフメディケーション、こういったアプローチも医療の考え方の一つです。“正しい医療”とは何か、以前考察しました。


“正しい医療”なんて存在しなくても、個人的には、現在用い得る、ヒトに対する再現性の優れた、最新かつ妥当性の高い情報を利用しながら医療を行うべきという考え方は変わっていません。人に対する再現性の優れた、最新かつ妥当性の高い情報、これすなわち一般的にエビデンスと呼ばれるものです。(EBMの実践において特に外部エビデンスと呼ばれるもの)僕は薬剤師にとってエビデンスは強力な武器になると以前申したことがあります。

医療とのかかわりの中で、EBMと出会ったころ僕は保険薬局勤務でした。現在の状況がどうなっているのか僕にはわかりませんが、当時は薬剤師の発言力はそれほど高いものとは言えず、説得力のある情報を提供するにはやはりエビデンスを活用するのが最も効果的であった、エビデンスは薬剤師の強力な味方となってくれる、そんな風に感じていました。もちろんこれは僕の場合に限った話ではありますが、やはり理論上正しくても、その根拠はどのように示されているのだ、と言った問いにも対応できる、エビデンスは非常に優れた武器でした。繰り返しますが、これは確かに武器でありました。

僕自身はEBMの実践と言えど、そもそも医師の臨床行動指針として概念化されたEBMについて薬剤師が何かを語るということはやはり、少々ナンセンスなのではないかなどと感じていましたし、たとえ薬剤師のEBMについてとはいっても、それを語れるほど何かを学んできたわけではありません。

ただ、この一年、EBMの実践について、特にエビデンスの使い方については様々な思索を重ねてきたように思います。特にEBMを学び始めたころ、エビデンスの押し付けに陥らないように、と言うようなことを常々意識してきました。EBMはエビデンスのみならず、患者の思い、その環境、そして医療者の臨床経験まで統合し最終判断を下すものなのだというEBMの基本的な概念を常に意識してきました。

そして、その結果実はあまり多くのことが変化していなかった。という事実も浮き彫りとなりました。EBMに関するワークショップや教育の機会は増加しているにも関わらず、相も変わらずDPP4阻害薬に代表されるような薬剤が売り上げのトップを占めている現状。EBMと言えど、エビデンスそのものを重視するのではなく、やはり重きを置いているのは文脈だったりする。特に薬剤師は処方箋という文脈の上に成り立つ医療に関わります。そういった中で、エビデンスを文脈から切り捨てて考える、そのようなエビデンスの活用法が垣間見えてきたのも今年に入ってからです。個人的には、メタ分析ではなく、一つのランダム化比較試験で有害性が示されたもの、あるいはランダム化比較試験で有効性が明確に示されていない新薬のようなものはやはり、文脈よりはエビデンスを重視したい、そんな風に考えてきました。

[臨床判断の思想構造]

 医療に関してその方針決定にかかわる思考は様々です。この思考プロセスはもちろん科学的妥当性、医学的妥当性が大きな割合を占めることと思いますが、僕はそれ以外の要素も大きく影響していると思うのです。でなければ、ワクチンはうたない方がいい、と言うような極端な思考プロセスがここまで話題になるはずがないと思うからです。EBMもそういった観点からは思想の一つではないかと最近思います。語弊があるかもしれませんが、より良い医療を目指すためのツールとしてのEBMがあるならば、何がより良い医療なのか、ある一定の思考プロセスに基づいて、決断している、これは考え方の一つであり、思想に他ならないと思います。

 考え方の多様化が進む現代社会において、思想は哲学や文学あるいは宗教ともその境界があいまいです。もともとヒトの考え方、思考プロセスにカテゴライズできるような明確な境界線は存在しません。ここからが宗教でここからが哲学そんな線引きは困難です。そういった思想や宗教において良い思想、悪い思想、そういったカテゴライズもまた意味をなさないことも自明でしょう。

 ただヒトは分類をする生き物です。分類と言う思想は人が有する根本的な価値観なのだと思います。カオスよりはましという仕方で“あれ”と“これ”を区別する。そして“あれ”と“これ”を共有する2つの集団が時に無用な対立を引き起こします。

 医療における考え方の違いが医療従事者の間でもやはり対立を生み出すのでしょう。ここで僕は思うのです。EBMはエビデンスを盾に誰かの行いを否定するようなことがあってはなりません。患者に対してであろうが、医療者どうしであろうが、EBMはエビデンスを用いながら人と人をつなぐ架け橋になる、そういう仕方で実践されるべきであると思います。エビデンスは武器になる、なんて言いましたが、「エビデンスをそんなふうに振り回したら危ないよ」って、きっと、そういうもんだと思います。

語弊があるのを承知で言えばEBMの思想は素晴らしいです。僕が薬学教育課程で学んできた病態生理学的思考プロセスを180度変えます。その破壊力は凄まじい。だから、時に他者と対立も起こします。自分の正しさに酔いしれます。なにせ「エビデンスはこう言ってるじゃないですか」、という究極のウエポンが使えます。他者を容易に否定できる危険な面があるのです。

ひとの幸せを考えるツールがEBMのはずでした。医療者どうしであろうが、患者に対してであろうが同じです。EBMの実践が自身の医療行為を正当化するために、しかもそれが、無意識に行われている、そういった可能性はあるのではないかと。僕自身そういう仕方でエビデンスを使ってきたんだと思います。文脈に歪められるべきが、エビデンスに歪められるべきか。その中道を行くことは可能か。それでは結局何も変わらないのでしょうか。
現実の医療と大きなギャップを示すエビデンスを前にどう行動すべきなのか、まず大事なのは、なぜそれをギャップと感じたのか、そういったところを取り出す作業から行いたいと僕は思いました。

[それでも僕は論文を読み続ける]

統計的有効性、あるいは医療者の主観的な改善効果の経験値。それらのいずれも患者の薬剤効果のクオリアを示しているわけではありませんが、僕は冒頭述べたように、現在用い得る人に対する再現性の優れた、最新かつ妥当性の高い情報に基づいて、妥当な治療薬を提案するだけです。それが受け入れられたとして、最終的に、はたして何が良かったかなんて言うのも、よくわかりません。

薬が効くというクオリアは共有することはおろか、一般化は不可能でしょう。突き詰めれば薬が効くとは極めてインテンションの問題ではないかとも思えるのです。僕らが通常考える、いわゆる真のアウトカムといえど個々の患者における薬剤効果のクオリアとは別問題なのでしょう。
より良いアウトカムを目指すというのは医療の基本構造ではあるが、より良いアウトカムってなんだ、という議論に乏しい仕方で構造化されている。

えらそうにEBMを分かったふうに言っていますが、僕は結局、論文を読まないよりは、少しだけマシな医療をしているだけかもしれない、僕はある意味ただ論文に関心があるということに過ぎないのかもしれない。そこは病識として肝に銘じたいと思います。「関心のないところにこそ重要なものがある」名郷先生がそうおっしゃっていたことを思い出しました。



今年1年、記事を読んでいただきました読者の皆様、誠にありがとうございました。今年も皆様に支えられここまで更新を続けることができました。
薬剤師の地域医療日誌1226日が本年最終更新となります。年明けは15日より更新を再開する予定です。
薬剤師のケースレポート日誌は本年の更新予定はありません。来年もインパクトのある症例報告を中心に症例報告から疫学的考察につなげ、当ブログにまとめていきたいと考えています。

本年もたくさんの方々に支えられ、様々な機会をいただき、また様々なことを学んできました。この場をお借りして御礼申し上げます。本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2014年12月22日月曜日

ACE阻害薬とDPP4阻害薬の併用による血管浮腫リスク

ACEDPP4いずれの酵素もサブスタンスPを分解するといわれています。サブスタンスPはブラジキニン等とともに薬剤性血管浮腫の発現メカニズムに関与すると考えられておりACE阻害薬重篤の重篤な有害事象として有名です。
ACE阻害薬による血管浮腫の発症頻度おおよそ0.1%~0.2% と言われており、薬剤投与後1週間以内に多いとされています。

Israili ZH, Hall WD. Cough and angioneurotic edema associated with angiotensin-converting enzyme inhibitor therapy. A review of the literature and pathophysiology.

同じくレニンアンジオテンシン系薬剤であるARBでは作用機序の観点から理論上は血管浮腫が起きないはずですが、症例報告は複数存在します。典型的にはロサルタンでの報告が目立ちますが、オルメサルタンでも報告があります。

Nykamp D, Winter EE. Olmesartan medoxomil-induced angioedema.

ただARBに比べてACE阻害薬の血管浮腫リスクは約2倍以上高いと考えられています。

Makani H, Messerli FH, Romero J. et.al Meta-analysis of randomized trials of angioedema as an adverse event of renin-angiotensin system inhibitors.

血管浮腫の臨床症状は典型的には、発作的な皮膚の限局的腫脹(とくに口唇や眼瞼、顔、首、舌に多い)、口腔粘膜の違和感や腫脹、咽頭や喉頭の閉塞感、息苦しさ、嗄声、構音障害、嘔気、嘔吐、腹痛、下痢などと言われています。
DPP4を阻害する新規糖尿病薬剤DPP4阻害薬でも理論上は血管浮腫が起こり得る可能性があります。そのような観点からか、添付文書上ACE阻害薬とビルダグリプチンは血管浮腫リスクの観点から併用注意となっています。

アンジオテンシン変換酵素阻害剤を併用している患者では、併用していない患者に比べて血管浮腫の発現頻度が高かったとの報告がある。(エクア錠製剤添付文書

ビルダグリプチンの第3相試験に参加した139211人を対象にビルダグリプチンの投与とプラセボ、メトホルミン、ピオグリタゾン、ロシグリタゾン、グリメピリド、アカルボースの投与を比較し血管浮腫リスクを検討した疫学的研究が報告されています。

Brown NJ, Byiers S, Carr D. et.al. Dipeptidyl peptidase-IV inhibitor use associated with increased risk of ACE inhibitor-associated angioedema.

血管浮腫確定例は27人で平均年齢は58.3歳、女性の割合が多い印象です。27人のうち重症例は5人(26%)でした。全体では有意な差はつきませんでしたが、ACE阻害薬併用中の患者ではビルダグリプチンの服用と血管浮腫リスクの有意な関連が示されました。(オッズ比9.2995CI1.2270.70])一方ARBでは差が出ませんでした。

血管浮腫
ビルダグリプチン
対照群
オッズ比[95CI
全体
19/8553
0.22%)
8/5368
0.15%)
1.49
0.653.41
ACE阻害薬
服用者
14/2754
0.51%)
1/1819
0.05
9.29
1.2270.70
ARB
服用者
3/1336
0.22%)
2/886
0.23%)
0.99
0.175.97

イベント数が少なく、その結果については議論の余地も多々あるかと思いますが、少し気になるテーマではあります。添付文書上の併用注意はビルダグリプチンにしか記載がなく、当薬剤固有のものなのか、他の薬剤ではどうなのか、クラスにより違いがあるのかという問題もありますよね。2013年に報告されたビルダグリプチンによる血管浮腫ではアログリプチンに変更後、症状が消失したとされています。

Saisho Y, Itoh H. et.al. Dipeptidyl peptidase-4 inhibitors and angioedema: a class effect?

しかしながらシタグリプチンでも血管浮腫が報告されており、その症例ではロサルタンが併用されていました。
Gosmanov AR, Fontenot EC. Sitagliptin-associated angioedema.

症例は46歳アフリカ系アメリカ人女性でロサルタン100/日を服用中。BMI35で合併症のない高血圧症を有していました。甲状腺炎の管理のためにプレドニゾン30mgが開始されましたが、3週間後、患者は多尿および多飲により緊急治療室に入室しています。高血糖を発現350 mg/dLを認めたため、食事、運動療法に加えて、シタグリプチン50㎎とメトホルミン500㎎の投与が開始されました。1週間後に脇腹に掻痒感、その後腹部や胸、太ももへ発疹が拡大。その後さらに感覚異常と上下両方の唇の浮腫に進行していき、シタグリプチン中止したところ、軽快したようです。


DPP4阻害薬の種類によってリスクに差がある可能性もありますが、現段階ではACE阻害薬との併用では血管浮腫リスクを念頭に置いておいたほうが良いかもしれません。血管浮腫は女性やアフリカ系アメリカ人に多いとされていますので、患者個別のリスクファクターも考慮に入れたいところです。

今年報告された注目医学論文 “厳選10本”

本年も数々の衝撃的な論文報告がありました。今年1年を振り返り、特に印象に残った論文の中から、全文フリーでアクセスできる論文を10本厳選いたしました。フリーアクセスできる論文を選んでいるので、ジャーナルに偏りがあるかもしれません。
また、結果の解釈については様々な異論もあるかと思います。さらに論文の妥当性についても議論の余地があるかもしれませんが、取り上げられたテーマとして、今後の研究報告も含めて注目したいと僕が思った論文をご紹介させていただきます。抄読会のネタとして、あるいはそのテーマについて掘り下げて勉強するきっかけになれば幸いです。

1.
Priest P, McKenzie JE, Audas R. et.al. Hand sanitiser provision for reducing illness absences in primary school children: a cluster randomised trial.
[クラスターランダム化比較試験]
小学校における手指消毒で児童の欠席を減らせますか?という論文です。インフルエンザ流行シーズンでは小学校に限らず、公共施設や飲食店でも手指消毒用のエタノールが設置されることも多くなりました。本研究は小学生児童を対象に学校欠席率を比較し消毒の有効性を検討した報告です。サンプルサイズや研究デザインなど議論の余地もあるかと思いますが、明確な結果が示されなかった点は注目したいところです。

2.
Greening NJ, Williams JE, Hussain SF. et.al. An early rehabilitation intervention to enhance recovery during hospital admission for an exacerbation of chronic respiratory disease: randomised controlled trial.
[ランダム化比較試験]
COPDのような慢性呼吸器疾患で入院したらできるだけ早くリハビリを受けた方が良いですか?という論文です。プライマリアウトカムは12ヶ月以内の再入院ですが、セカンダリアウトカムとして死亡を検討した重要論文。慢性呼吸器疾患により入院中の早期のリハビリは12ヶ月間の再入院のリスクを軽減させず、身体機能の回復を促進しなかったという結果でした。また12ヶ月での死亡割合は、介入群で高かったというなかなか衝撃の結果です。

3.
Si S, Moss JR, Sullivan TR, et.al. Effectiveness of general practice-based health checks: a systematic review and meta-analysis.
[メタ分析]
一般診療における健康診断で健康になれますか?という論文です。最近のレビューでは、一般的な健康診断は、成人の死亡率を減少させることができないと結論付けており、この問題には議論の余地があるかともいますが…。これはランダム化比較試験のメタ分析ではあります。マスを対象とした健診では代用のアウトカムを改善する可能性は高いですが、その後の人生においてどのような影響をもたらすかよく分からないという印象はあります。当然ながら死亡に関して明確に減らさないという結果ですが、心血管疾患死亡は増加するというなかなか衝撃的な結果となっています。

4.
Miller AB, Wall C, Baines CJ et.al. Twenty five year follow-up for breast cancer incidence and mortality of the Canadian National Breast Screening Study: randomised screening trial.
[ランダム化比較試験]
マンモグラフィによる乳がん検診についてはこれまでにも多数の報告が議論を読んでいますが、この論文はやはり一読せねばならないと感じます。追跡15年時点でマンモグラフィで発見された乳がん全体の22%(106/484例)が過剰診断である可能性が示唆され、マンモグラフィ検診を受けた女性424人で1件の乳がん診断が過剰診断となっているかもしれないと結論しています。

5.
Jørgensen T, Jacobsen RK, Toft U. et.al Effect of screening and lifestyle counselling on incidence of ischaemic heart disease in general population: Inter99 randomised trial.
[ランダム化比較試験]
いわゆるメタボ検診のようなスクリーニングと生活指導で心臓病は予防できますか?という論文です。デンマークにおける30歳から60歳の参加者59616人が対象となりました。コミュニティベースの心血管疾患スクリーニングによるリスク保有者への5年にわたる個別の生活習慣指導では10年後の人口レベルにおける心血管疾患や脳卒中、死亡率の改善効果見られないと結論された衝撃的な論文。

6.
Bennell KL, Egerton T, Martin J. et.al. Effect of physical therapy on pain and function in patients with hip osteoarthritis: a randomized clinical trial.
[ランダム化比較試験]
変形性腰関節症に理学療法は効果がありますか?という論文です。変形性腰関節症をX線にて確認された102人を対象に理学療法の有用性が検討されました。疼痛/身体機能改善度に有意差は見られなかったとしています。しかしながら、プラセボ群のほうがむしろ良い傾向にあるという結果はなかなか衝撃的な結果となっています。

7.
Ford AC, Forman D, Hunt RH. et.al. Helicobacter pylori eradication therapy to prevent gastric cancer in healthy asymptomatic infected individuals: systematic review and meta-analysis of randomised controlled trials.
[メタ分析]
16歳超の健常な無症候性H pylori菌感染者を対象にピロリ除菌療法の長期アウトカムを検討した貴重な報告。胃がんの発生こそ低いものの、セカンダリアウトカムの胃癌死亡や総死亡に明確な差が出なかった点はやはり軽視できない印象です。

8.
Okabayashi S, Goto M, Kawamura T.et.al. Non-superiority of Kakkonto, a Japanese herbal medicine, to a representative multiple cold medicine with respect to anti-aggravation effects on the common cold: a randomized controlled trial.
[ランダム化比較試験]
風邪のひきはじめには葛根湯と総合感冒薬どちらがよいでしょうか?という論文です。薬剤師なら一度は目を通しておきたい論文。

9.
Weich S, Pearce HL, Croft P,et.al. Effect of anxiolytic and hypnotic drug prescriptions on mortality hazards: retrospective cohort study.
[コホート研究]
抗不安薬や睡眠導入剤に副作用はありますか?と言う論文ですが、主要評価項目は死亡です。ポリファーマシーなどにも関連して、この手のエビデンスは薬剤師にとって非常に重要意味を持つと考えています。

10.
Michaëlsson K, Wolk A, Langenskiöld S. et,al Milk intake and risk of mortality and fractures in women and men: cohort studies.
[コホート研究]

牛乳は体に良い、そんなイメージを根底から覆す衝撃的な論文。日本人に当てはめられるか、議論の余地はありますが、骨折ですら前向きな結果が出ていないというインパクトのある報告です。

2014年12月19日金曜日

他者との対話からあらためて考える、薬剤師のEBM

大切なことはいつも答えが出ない、僕はそう思います。端的な思考に陥らないよう心がけるということを常々意識してはいますが、ヒトは秩序を好みますよね。曖昧な思考よりもクリアな思考、そしてその結果「なになに」だというロジックで安心を手に入れる。曖昧なままと言うのは精神状態としては不安定な状態なんだと思います。二元論が如何におろかであるか、ソシュール言語学やEBMの実践の中で学んできましたが、突き詰めれば二元論かそうでないのかという二元論に陥るわけです。

多面的な視点という仕方で、二元論を回避するというのはひとつの選択肢だと思います。少なくとも一つの視点からではなく複数の視点から物事を見つめ直す。ただそういったことはなかなか一人で考えていても多面的な思索は思い通りにいかないこともしばしばですよね。そうなんです。論文を読んでどう活用すればよいかというのも同じでやはり複数の人たちと一つの論文を読むということは複数の視点を得ることに他なりません。大事なのは他者との対話の中で生まれ行く、新たな概念なのでしょう。

前置きが長くなりました。日経DIオンラインのコラム「薬剤師的にどうでしょう」やブログ「薬局のオモテとウラ」で有名な、長野県で薬局を開局されている、熊谷信 先生との対談企画のお話をいただきました。熊谷先生が執筆されている薬局新聞のコラム「ソーシャルPメンター&ニュース」上での対談企画です。
実は同じく日経DIオンラインコラム「薬局にソクラテスがやってきた」やブログ「薬歴公開 byひのくにノ薬局薬剤師」で有名な、熊本の山本雄一郎先生から、今回強力なプッシュがあったとのことで、恐縮の極みと申しますか、お話をいただいたときにはこんな僕でよろしいのでしょうか、と言う感じでした。山本雄一郎先生には毎回お世話になっておりまして、本当に感謝です。この場をお借りして御礼申し上げます。

ちなみに熊谷先生と、山本先生の対談記事はこちら

お二人に共通するのはやはり卓越した言語化能力にあるのではないかと僕は考えています。言語学で有名なソシュールは、コトバによって世界が編み上げられる、そんなふうに言葉を捉えました。言語化するというのは未だかつて存在しない新しい概念を生み出す力の原動力なんです。ブログに言葉をつづると言いうのは思考を具体化することに他なりません。
まずは僕が今まで取り組んできた活動を振り返るというところからスタートしました。
EBMとの出会い関して、これまでもいろいろなところに書いてきたのでご存じの方も多いかと思いますが、スピリーバ®レスピマットという薬剤の論文がきっかけでEBMと出会ったこと、その後さまざまな衝撃的な結果を報告する論文を読んで…

「これはもう論文をいろいろ読むしかないと思うわけです。それで、この問題(結果をどう取り扱うか)が解決するかは謎でしたけど、もう読まないといけない衝動にかられていた。読んでいるうちに今まで当たり前だと思っていた薬物治療が根底からひっくりかえるようなことの連続で、読むのが止まらなくなってしまったんですよね。」

論文を読むのが止まらなくなってしまい、そして継続して論文を読む中で

「(論文要約をノートにまとめるなかで)僕は字が汚くて、忙しい時に書くともうぐちゃぐちゃで…そこでブログにして毎日アップすることにしたんです。(薬剤師の地域医療日誌)」

これが僕自身の「思考の言語化」のスタートだったわけです。

さて、臨床医学論文の多くは英語で書かれていますが、英語の壁を乗り越えるというのがこの会のテーマでした。

僕は英語が高校時代から苦手で、当然大学時代もまともに英語を勉強してきませんでしたので、社会人になっても英語なんて読めるわけがありません。でも、それよりも何よりも、今まで学んできた「常識」が覆されていく、そういったことを妥当性の高いエビデンスは伝えてくれていて、それを読まずにはいられない、そして、それを多くの人と共有しそれについて議論したい、と言う思いが、英語論文と向き合い続けるということを駆動させました。
例えば地球は温暖化していると誰もが信じていたとして、でも観測データはこの10年全く温暖化を示していなかったとしたら、その事実を放置できる人の方が珍しいのではないでしょうか。
そこで、僕は中学英語から勉強し直しました。それでもいまだ英語を読むのはあまり得意ではありません。現在ではグーグル翻訳などのインターネットツールを併用しながら論文を読むことが多いですね。あとは論文を読みこなすスキルと言うか、そういったものでカバーすることで何とか、おおよその内容を読んでいけるようになりました。

薬剤師のEBMの具体的な話題を、というテーマでした。これは最初から話すともう語りつくせないぐらいのことなので、大まかに薬剤師のEBMと言うのはどういったことなのか、少し考え直してみました。

日常業務で遭遇する添付文書の併用注意、これは臨床判断、例えば疑義照会をするかどうかと言うような判断ですが、相当迷うんです。注意ってなんだよって。禁忌ならもうだめでしょ、って割り切れるんですけど、注意ってどうしろってことなんでしょうかね。
重大な副作用もいろいろ書いてあるんですけど、じゃどうすればいいのさ、と言う感じがしませんか?具体的で、リアルな頻度、どんな患者でどれだけ起こりやすいか、そうリスクファクターの詳細な記載がないからなんです。
薬物相互作用、重篤な有害事象の頻度とリスクファクター、これらの情報を臨床医学論文から得ることもできます。当然すべての薬剤に関する事象の情報を得ることは難しいですが、症例報告も含めて多面的に評価できることは間違えありません。

最終回は薬剤師のEBM今後の展望というテーマでした。

EBMは医療にかかわるその方法論として大変有用なものです。なぜなら答えの無い臨床疑問にどう向き合えばよいのかその一つの方法と示唆を明示してくれるからなんです。そしてこのEBM医療にかかわると言うだけでなく、薬剤師が薬の勉強をするその方法論としても大変有用なんです。このあたりはこのブログでも記事にしましたのでご参照いただければと思います。


4回にわたり、脈絡のないお話を、分かりやすくまとめてくださり、そして記事にしていただきました。貴重な機会を誠にありがとうございました。この記事をきっかけに、論文を読んでみよう、そう思ってくださる方がいらっしゃったらこれほどうれしいことはありません。

2014年12月8日月曜日

なぜ論文を読み続けるのか

学生時代、ほとんど勉強してこなかった僕が教育や学ぶこと、に関して何かを言う資格が、あるのか、ないのか、という2つの選択肢で答えなければいけないのであれば、まず間違いなく「ない」でしょう。そんな偉そうなことを言えるほどに何かについてすべてを学んできたわけじゃありません。ただいろんな好奇心から、広く多くの事柄から何かを学んだような気がします。そんな僕が述べる勉強論ですから、まあ軽く聞き流していただいて、あ、これ使えるかも、っていう所が一つでもあったら幸いです。

実は僕は車の運転が苦手、と言うかペーパードライバーです。なんというかハンドルを握ると手に汗が噴き出して、事故を起こしたらどうしよう、みたいな強迫観念が襲ってくるわけですが、教習所に通っていたころは、そんなこともなく、マニュアルで自動車免許を取得したわけであります。そんな僕が言うのもなんですが、自動車教習所での危険予測トレーニングってありますよね。実はあれ、学びの本質だと僕は考えています。冒頭の流れからすると、もう全く説得力ないですね。
 
危険予測トレーニングって、今現在事故が起こりそうな場面にいるわけじゃないですよね。モニター(あるいは絵でしたっけ?)の前に座っているわけですから。危険予測トレーニングは、実際にその事態が発生しそうな時に、同時的に次に何をすれば良いかがわかる、そういった能力を鍛えることなんです。もし、縦列駐車している車と車の間から子供が飛び出したら、間違いなくこのスピードでは止まれない、そういった危険を回避するために恐る恐る進む、そうして何事もなければそれでいいわけですし、もし本当に子どもが飛び出して来たら、恐る恐るという振る舞いが、車を徐行運転にさせ、注意深く駐車している車と車の間を意識することで、飛び出してきた子供を視線は的確にとらえます。そして同時的にブレーキを踏みこみ、安全に停車できる。そういった能力を鍛えるのが危険予測トレーニングなんですよね。

僕はお寺や神社が好きなのですが、歴史的なものや建築に興味があるだけじゃなくて、やはり祈りの姿勢というか、畏れの感覚というか、“恐る恐るというような振る舞い”、そういったものの感度を高めたいと思うのです。自分がいかに無力な存在であるか認識することで、自分の能力を超えたものにどう向き合うか、祈りを通して、そういった思考を鍛えたいと思うんです。

 何が起こるかわからない、何に遭遇するかわからないけれど、その事態が起きたときにどうすればよいのかわかる。そういった能力は重要です。例えば臨床現場でも、ある患者さんや医師からの問い合わせに、どう臨床判断すればよいかわかる、そういったトレーニングが臨床能力を鍛えることの根幹ではないでしょうか。どのような問い合わせが来るのかわからない中で、それに対する対応能力を如何に鍛えるのか。薬剤師の臨床教育に欠けているこのような「学ぶ仕方」なんだと僕は思います。

 医学論文を読みながら医療にかかわるその方法論をEBMと言いますが、薬について学ぶには、このEBMの手法が限りなく強力な手段になります。なぜ薬剤師が論文を読むのか、それも継続して読み続けなければいけないのか、そういったことを先月お話しさせていただく機会を得ました。これは僕が最近考えていたことなんですが、公にお話しするのは実は初めての経験でして、非常にわかりにくくなってしまったかもしれません。しかしながら大変重要なことだと思いますので、あらためてここで言語化していきたいと思います。

日々積み重ねられていく論文情報を全て学びつくすなんてことは到底不可能です。だから本来は、知識習得のために論文を読むわけではありません。論文情報を学ぶことでも暗記することでもなく、必要な時に、必要な情報を活用できるよう、整理しておくことなんですよね。これを僕は論文情報と臨床行動のスクリプト化とよんでいます。EBMの手法を用いた継続的な学習の本質とはいざその臨床現場に遭遇した時に同時的にスクリプトが引き出せるように、その能力を鍛えることろにあるわけです。

スクリプトと何か、ということですが、スクリプトとは、典型的状況で人間が想起する一連の手続きを表現する台本のようなもののことです。ヒトは社会生活で必要な知識をスクリプトの形で記憶にため込むと言われています。たとえばファミリーレストランで食事をするのは何もまごつくことなく食事をして帰ることができますが、高級ホテルではどうしたらよいかまごつきますよね。これは高級レストランで食事をするという仕方のスクリプトが形成されていないからなんです。

読んだ論文が、役にたつかどうかは今は分からないけれど、それが役に立つであろうものであると先駆的に知ることができる、そういった能力を鍛えることが『学ぶ』うえで大切なのではないかと考えています。論文を読み続けて何になる、そういわれたこともありました。ですが、いざその臨床現場に遭遇した時に同時的にエビデンスが引き出せるかどうかなんですよ。そのために、役にたつかどうかは今は分からないけれど、それが役に立つかもしれない。必要なものを調達するのではなく、これは何かの役にたつかもしれない。そんな感覚が大事なんです。自分が今していることの意味は事後的に分かる。後ろを振り向いたときに、はじめて点がつながる。そういう構造になっているんです。

だから臨床経験がなくても臨床を“危険予測トレーニング”のような仕方で学ぶことはできるんです。確かに実際の現場で経験することのほうが大事ですが、事実上経験できない環境にいるならば、EBMの手法で仮想臨床を学ぶことができる、そして学生でもある程度臨床能力を鍛えることができるるのではないかと思っています。何も大学附属病院の薬剤師だけが高度な臨床スキルを得られるわけじゃない。誰でも臨床能力を鍛えることができる。それがEBMの手法で学び続けることのすごさなのです。

では、なぜ教科書じゃなくて、臨床医学論文で学ぶのか。教科書のほうが分かりやすくきれいにまとまっているし覚えやすい、なんて思いますよね。ただ繰り返して言いますが、学びの本質は知識の暗記ではなく、学びの仕方を学ぶという事なんです。それともう一つ、臨床で遭遇する疑問、問題はその多くが前掲疑問です。教科書に記載されているような背景疑問に答えるものではありません。臨床医学論文は臨床疑問に対する一定の示唆を与えてくれるものです。そこから想定しうる臨床現場を容易に想像することが可能です。したがって論文情報に記載されている情報の信頼度を吟味し、類似情報を集め、これまで学んだ背景知識との融合を加え、そのテーマに対する臨床スクリプトをため込むというコトを継続的に行うことで、いざのそのテーマの問題が目の前に提起されてきたときに、同時的に臨床判断ができるということにつながるのではないかと考えています。


実際はそう単純じゃないのですが、少なくとも薬が効くとはどういうことかを学ぶためにはEBMの手法は必須であると断言できます。日常業務で遭遇しうる「重要な問い」に対してアンダーラインを引くこと、そしてそのことがなぜ「重要な」ものとして取り出されたのか、そのテーマに対する多面的な思考につながる、そういったことに気付くからです。

2014年12月7日日曜日

平成26年度第8回薬剤師のジャーナルクラブ開催のお知らせ

今年も残りあとわずかになりました。
関東でもインフルエンザ感染症流行の兆しが見えてきています。
抗インフルエンザ関連、いろいろな話題がありますが、僕が尊敬する先生方のブログをちょっと見ていきましょう!

これまで製薬会社の大規模データは開示されていなかった。
製薬会社の未出版データを統合すると、合併症予防効果はほとんど認められない。
タミフルに過大な期待をしないよう注意が必要。

タミフルが推奨されているのは、非季節性インフルエンザかつ合併症リスクが高い患者や重症患者であり、季節性インフルエンザや健常人への推奨は原則はされていない

当ブログでも検証をしてきました。

抗インフルエンザ薬はインフルエンザの予防にも適応がありますよね。今回は、そんな抗インフルエンザ薬の中でも一番新しい薬剤、ラニナミビルのインフルエンザ予防効果について考えましょう!

平成26年度 第8回薬剤師のジャーナルクラブを以下の通り開催いたします。

開催日時:平成261214日(日曜日)
■午後2045分頃 仮配信
■午後2100分頃 本配信

※フェイスブックはこちらから→薬剤師のジャーナルクラブFaceBookページ
※ツイキャス配信はこちらから→http://twitcasting.tv/89089314
※ツイッター公式ハッシュタグは #JJCLIP です。
ツイキャス司会進行は、精神科薬剤師くわばらひでのり@89089314先生です!
ご不明な点は薬剤師のジャーナルクラブフェイスブックページから、又は当ブログ「自己紹介」に掲載されているメールアドレスまで!

今回は@pharmasahiro先生にシナリオ作成を担当していただきました。ありがとうございました。
以下は、@pharmasahiro先生のブログからの引用です。


【仮想症例シナリオ】
あなたは, 保険薬局の薬剤師です.
本格的な冬の寒さが到来し, 徐々にではありますが風邪などの急性疾患で来局する患者が増えてきていました.
そんなある平日の昼下がり, 午前の外来業務が終わり一息ついていたところ,
とある女性が突然やってきました.
「どうも娘の通う保育園でインフルエンザに罹った子がいるみたいなんです. 家族全員で予防接種を受けようと思っていたらもう流行していてびっくり!今年は予防接種じゃなくて, インフルエンザの薬を予防でもらった方がいいのかしら?」
こちらの女性(30), 普段抗ヒスタミン剤の内服薬や皮膚科外用薬といった処方薬を受け取りに来局される方で, 薬のことだけではなくご自身やご家族の健康に関する相談もよく受けており, あなたも女性のことはよく覚えていました.

【女性とご家族について】
共働き(30代の旦那さま)で保育園に通う娘さん(4), 親夫婦(60)5人家族.
娘さんとご主人は持病や定期服用薬はなし.
親夫婦に関しては現病や服用薬などの詳細はわからない.
抗インフルエンザ薬がインフルエンザの発症に対してどの程度予防効果があるのか,
あなたはこの臨床疑問を解決すべくpubmedを検索した結果, 次のような論文を見つけました.

[文献タイトルと出典]
Laninamivir octanoate for post-exposure prophylaxis of influenza in household contacts: a randomized double blind placebo controlled trial.
Pubmed :
 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23732307

[ランダム化比較試験をどう読む?]
予習ポイント:第1回ジャーナルクラブの解説をご参照ください!
ワークシートはこちらを使用します!



薬剤師のジャーナルクラブ(Japanese Journal Club for Clinical Pharmacists:JJCLIPは臨床医学論文と薬剤師の日常業務をつなぐための架け橋として、日本病院薬剤師会精神科薬物療法専門薬剤師の@89089314先生、臨床における薬局と薬剤師の在り方を模索する薬局薬剤師 @pharmasahiro先生、そしてわたくし@syuichiao中心としたEBMワークショップをSNS上でシミュレートした情報共有コミュニティーです。

2014年12月4日木曜日

僕たちの医療 〜正しい医療とは何か〜

先日、僕の母校、城西大学のサークルで「」さんが主宰した濁流賞という文学賞に、あるトピックを投稿させていただきました。城西大学広報委員会さんのツイッターを拝見し、そのような取り組みがあると知りまして、応募してみることにしました。卒業生にも関わらず、参加させていただき、誠にありがとうございました。

「濁流賞」は十数年前まで行われていた、城西大学「ものを書く会」さん主催の文学賞とのことで、僕が学生時代はおそらく開催されていたんだろうと思います。ものを書く、すなわち言語化するということは、自分の思考の中に存在する、まだ未熟な概念をはっきりとした形に編み上げる、そのようなプロセスではないかと考えています。

なお次回の「濁流賞」は平成27720日(月)必着とのことです。城西大学学内限定とのことで、応募資格は以下の通りです。

【応募資格】
城西大学又は城西短期大学に所属する学生及び職員(院生含む)
※城西大学卒業生及び城西短期大学卒業生も応募可能(院卒業生含む)
詳細はこちらを!濁流賞について

 今回投稿させていただいたトピックは、おかげさまで濁流賞に入賞いたしました。常日頃から僕がなんとなく感じていたこと、薬剤師として医療にかかわる中で、ぼんやりとしたイメージを紡ぎながら、文章として編み上げてみました。
 学術的な厳密性というのを僕は仕事がら大事にしておりますが、今回のテーマはいわゆるビックピクチャーです。風邪薬から漢方薬、そして奈良時代の日本から、18世紀のイギリスまで話が飛んでいきますから、もう“触れていないこと”に対する学術的厳密性を求めていけば、いくらでも反論することはできるのでしょう。そのようなご指摘はごもっともなんですが、少し全体を俯瞰しながら、今の医療とは何か、そんな感じで、ざっくりと読んでいただけたらと思います。
 以下に、全文を掲載いたします。ご無理なお願いにも関わらず快く転載許可をしてくださった「ものを書く会」の部員の皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。


僕たちの医療 正しい医療とは何か

風邪には総合感冒薬か葛根湯か

 僕たちは、例えば風邪をひいたら、風邪薬を飲もう、とかひどくなる前に病院へ行ってお医者さんに薬をもらおうと思います。こういった考え方は現代の日本人においては全く常識的な行動だと思います。確かに、中には気合で治す!なんて方もいらっしゃると思いますが、小さなお子さんを持つ親御さんの気持ちになれば、やはり何かあってはいけないから念の為にも小児科を受診しよう、というのはごくごく当たり前の考え方だと思います。

 風邪薬にもいろいろあるかと思います。市販の薬では総合感冒薬や漢方薬も手に入ります。テレビの宣伝では効いたよね、早めの風邪薬なんてフレズで、風邪をひいたら早めに薬を飲めば、ひどくならずにすむ、というようなイメジを発信しています。中には総合感冒薬は全然効かない、漢方のほうが効くんだという人もいて、葛根湯を選ぶ人もいるかもしれません。

 漢方薬とはそもそも古代中国における経験的医療の体系を日本風にアレンジした医学体系で、17世紀ごろに大きく発展し日本の医療に組み込まれ、西洋医学の蘭方に対するものとして位置づけられました。

 葛根湯は漢方薬の中でも代表的なもので、皆さんももしかしたら名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれません。葛根(カッコン)という生薬を中心に7種類の生薬エキスを配合したもので、カゼのひき始めでゾクゾク寒気がするとき、また、頭痛や肩こり、筋肉痛、じん麻疹などにも用います。漢方薬は市販薬として入手できるだけではなく、日本では、医療用医薬品として健康保険を使って医師も処方することができます。総合感冒薬は歴史的に見れば西洋医学体系を踏襲した病態生理学理論に基づいた医薬品と言えましょうし、葛根湯は日本古来の経験に基づく医学体系を踏襲した医薬品と言えましょう。風邪に対する薬物治療としてどちらが効果があるのか、すなわち正しい選択と言えるのでしょうか。

 市販の総合感冒薬と葛根湯どちらが効果的か、風邪への効果を検討した臨床試験が行われています。1)臨床試験とは難しい言葉ですが、簡単に言えば薬の効果を人で検討した試験研究とでも言いましょうか。ここではその意味についてあまり深く考えず、話を先に進めます。

 この試験の内容は、風邪の症状で病院を受診した1865歳の患者さん340人に対して、葛根湯を飲む人と総合感冒薬を飲む人を全くでたらめに(ランダムに)決めます。そしてこの試験開始からの5日間の風邪症状の悪化を点数で示して比較するという試験です。このような試験をランダム化比較試験といい、薬の効果を検討する際にはよく用いられる研究手法です。この試験では葛根湯を飲んだ人は168人、総合感冒薬を飲んだ人は172人でした。では結果はどうだったのでしょう。

5日以内に風邪症状が悪化したのは、葛根湯を飲んだ人では168人中38(22.6)で、総合感冒薬を飲んだ人では172人中43(25.0%)でした。実はこの結果22.6%と25.0%にはごくわずかな差しかありません。数学が得意な方はお分かりかもしれませんが、この差に統計的に意味のある(有意差)はありませんでした。(P=0.66)早めに総合感冒薬を飲もうが、葛根湯を飲もうが約1/4の人は風邪が悪化しますし、 この2つの治療に大きな差はないという事が示されています。

経験的医療に基づいた漢方製剤と病態生理学的知見に基づいた総合感冒薬は臨床的な観点から効果を比較して見ると、著名な差があるわけではないというのは大変興味深い示唆だと思います。漢方薬、総合感冒薬、どちらが正しい医療なのかと考えたときに、一つの構造が見え隠れします。天然痘というウイルス感染症を例にその構造を垣間見てみましょう。

聖武天皇と天然痘

735(天平7年)8月、時は奈良時代、九州は大宰府において疫病が流行していました。続日本記には豆瘡、俗に裳瘡というと記されていて、現在で言う天然痘の流行です。天然痘は天然痘ウイルスによる感染症で伝染性が強く死に至ることもある疾患です。現在では天然痘ワクチンの接種の普及でWHO 19805月に天然痘の世界根絶宣言を行っています。以降これまでに世界中で天然痘患者の発生はないとされています。

さて話を奈良時代の日本に戻します。九州から流行し始めた天然痘はやがて山陰、山陽道を東上し、首都奈良の平城京を襲います。時の天皇、聖武天皇の皇子である、新田部親王、舎人親王も相次いで死去しました。 737年には、政権を主導していた藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂の四兄弟が相次いで死去してしまいます。2)

藤原広嗣の乱や長屋王の変など当時の政治事情ももちろんあるかと思いますが、このような天然痘流行による危機状況を打開するために聖武天皇は仏教による政情安定を図ろうとします。その一つが国ごとの国分寺・国分尼寺の建立という国家的プロジェクトです。仏教を通じて災いのない世界を作り上げたい、そんな理念がこのプロジェクトには込められています。災いとは天然痘などの感染症も含まれていたことは言うに及ばないでしょう。すなわち、疾病などに対する公衆衛生プロジェクトの一環として国分寺・国分尼寺建立プロジェクトが推進されてきた歴史があります。当時の人々の常識からすれば感染症という疾患の流行とは災いの一つであり、それに対して宗教的観点から仏の力でそれを抑え込もうという事が常識に登録されていたわけです。

エドワ―ド・ジェンナ―と天然痘

エドワ―ド・ジェンナ―(17491823)はイギリスの医師で、18世紀初頭、世界的に流行していた天然痘に対する予防法を考案し、実行した人であり、天然痘撲滅の礎を築いた人でもあります。当時、天然痘にかかって死を免れた人は二度と天然痘にかからないという事が分かっていました。そのため天然痘患者から採取した水痘の汁を健常人へ摂取する人痘接種なるものが行われていましたが、当然ながら単に天然痘を伝染させているだけであり、全く予防効果はありませんでした。ジェンナ―はもっと安全な予防法はないか思案します。彼は酪農場で働く女性たちが感染する牛痘(牛の天然痘で罹患しても軽症)にかかることがあり、さらに牛痘にかかった女性は天然痘が流行しても感染しないという事実に注目します。観察に基づくデ―タからジェンナ―はある仮説を立てます。感染した女性の牛痘部分から分泌物を採取し、ジェ―ムズ・フィリップスという8歳の子供に接種します。そしてこの子は以後天然痘にかかることはありませんでした。そしてこの事実がその後、全世界の何百万という人々を天然痘から守ったことにつながったのです。
 
当時、天然痘はその原因ウイルスや疾患自体の病態生理は全く分かっていませんでした(これはもちろん聖武天皇の治世、奈良時代の日本でも同様です)が、ジェンナ―は観察デ―タをもとに予防対策を実行したのです。現在では天然痘はウイルス感染による感染症であり、ワクチン接種によりその免疫が獲得され病気にかかりにくくなるという事が理論的に解明されていますが、疾患の原因や発生メカニズムが分からなくても予防は可能だということを、ジェンナ―は証明しました。

 1967WHOは天然痘撲滅のための世界的プログラムを実施し、1980年ついに天然痘はこの世から根絶されました。

常識とは何か

今見てきたように、現在の僕らの常識的価値観というものを全く排除したときに、聖武天皇の施策とエドワ―ド・ジェンナ―の取り組み、どちらが正しいのでしょうか。結果的に見れば、天然痘根絶の礎を築いた人として、ジェンナ―に軍配が上がるかもしれません。しかしながらそれは今を生きる僕らの考え方・価値観に過ぎません。奈良時代の人々にとって災い(≒天然痘)は仏の力で封じ込めるという事が常識に登録されており、皆がそれを信じ、巨額のお金と労力が国分寺・国分尼寺建立に費やされます。流行が終息すればやはり仏の力のおかげなんだとみな安心し、安らかな日々を取り戻すことになります。

物の見方や感じ方あるいは考え方を基本的なところで決定している認識は僕らが属している集団における関心や価値観にほかなりません。常識登録されるための条件は、その物事が客観的に正しいかどうかというよりはむしろ、その認識がより多くの人に共有されているかどうかという事です。奈良時代の人々に共有されていた認識とは災いは仏の力によって抑えることができるという宗教的価値観です。疾病に対する治療において、そういった価値観に焦点が当てられていたのが当時の思想にほかなりません。

一方、エドワ―ド・ジェンナ―はどのようなメカニズムで天然痘が起こるのかはよくわからないけれども、牛痘に感染した人は、牛痘に感染しなかった人に比べて天然痘にかかりにくいという事実に基づき予防法を考えました。これはやや専門用語でいえば疫学的考察により疾患と向き合っています。その後ウイルスが同定され、ワクチンが開発され病態生理学的にも解明が進み、天然痘撲滅へと至りました。

カルチャ―ショックにみる常識の構造

僕らが生きているこの時代、この場所において全く常識と思われるような行動は、地球の裏側に行けば全く奇異な行動に見られるという事も十分あり得ます。海外旅行でカルチャ―ショックを受けたよなんてこともありますよね。文化や思想が違えば常識というのはその人が所属する社会や組織で大きく異なり、どちらが正しいなんてことはありません。
僕らが常識的に正しいと感じている医療や薬物治療だって、例えばアフリカの先住民族が伝統的に用いる民間療法を正しいと信じている人にとっては異常なことに見えるでしょう。ある薬物治療が効果があると信じているという構造は、この現代日本の医療においても実は不変です。実際に例を少し上げてみましょう。

病態生理学的仮説と臨床効果のギャップ

薬物治療において薬の効果の概念は大きく2つあります。たとえば糖尿病の治療を考えてみてください。糖尿病とは血液中の糖の数値(血糖値)が健康な人と比べて高い状態です。ですので、高い血糖値を薬で下げることができれば治療と言えそうです。しかし、血糖を下げただけで、結局治療しない場合と寿命が変わらないとしたら、あなたは治療を受けたいと思いますか?大事なのは高い血糖値を下げたとして、どのくらい寿命が延びたか、という事なのです。この場合血糖値が下がったというのを代用のアウトカムといい、寿命が延びたというのを真のアウトカムと言います。アウトカムとは薬を飲んだその後の成り行き、のような意味で使うことが多いです。

現在2型糖尿病の治療目標はHbA1c(ヘモグロビン・エイワンシ―:過去12ヵ月の血糖の平均値を反映する臨床検査値)血糖正常化を目指す際の目標値6.0%合併症予防のための目標値7.0%治療効果が困難な際の目標値8.0%の3段階に分けられています。3)
 6.0%未満は低血糖などの副作用なく達成可能な場合の治療目標とされ、糖尿病発症早期ではこのような目標値が設定されることが多いと思います。

2型糖尿病の治療においてHbA1cはその人の血糖コントロ―ル状態を反映する数値として有用ですが、これは薬物治療の効果の2つの概念からいうと代用のアウトカムです。2型糖尿病では、末梢神経障害、腎障害、網膜症の3大合併症に加えて、動脈硬化進展からの心筋梗塞などの合併症、寿命が延びたか、という事が真のアウトカムと言えることは先に述べた通りです。ではHbA1c 6.0%と8.0%ではどちらがより健康的かと考えたときに、常識的には血糖が高い状態を示すHbA1cが高いほうが不健康であり、治療が必要といえますよね。これは2型糖尿病という病態生理学的観点から推察した仮説に過ぎないという事は実はとても重要です。実際にHbA1c6.0%と8.0%の状態を比較して、その後の合併症の発症を検討した臨床試験があります。4)

この試験は平均で62歳前後の2型糖尿病患者さんを約10000人集めてきて、HbA1c6%未満を目指す、厳しく治療をする人たちとHbA1c7.07.9%を目指す緩く治療する人たちにランダムに2群に分けます。
試験開始から3年半後、糖尿病の合併症は2つのグル―プでその発生率に明確な差がでず、驚くべきことに厳しく治療をする人たちでは、緩く治療する人たちに比べて死亡が22%多い傾向にあるという結果でした。この試験はACCORD試験といわれ、糖尿病治療の常識を覆す試験となりました。

その後の研究でも厳しく血糖値をコントロールしても死亡を明確に減らすかどうかは分からないという結果が示されています。5)それにもかかわらず、糖尿病治療においては HbA1cはなるべく低いほうがいいという事が現実には常識に登録されています。

このように常識的には血糖値を薬や食事で厳しくコントロ―ルしたほうが健康的であると信じられていたとしても、実際にはそうではないかもしれないという事が浮き彫りになるのです。いくら病態生理学的に常識的な治療でも、その科学的根拠臨床試験が示すような実際の薬の効果の根拠を失った時、それはむしろ、天然痘に対して聖武天皇が行った宗教的施策と同様の構造のように思えます。現実の観察に基づき医療介入効果を検討したエドワ―ド・ジェンナ―の疫学的思考とは大きく異なります。しかしながら現代の日本の医療、特に薬物治療はこの糖尿病の事例以外にも、似たようギャップを数多く孕んでいます。

冒頭、風邪に対する2つの薬物治療を紹介しました。総合感冒薬の治療は病態生理学に基づくものです。実は風邪に対して無治療と比較した総合感冒薬のランダム化比較試験(疫学的検討)はほとんどありません。(※注1)要するに風邪の引き初めに総合感冒薬を飲めば早く治るなどという効果はよくわかっていないのです。風邪に対して解熱剤を使うと治癒期間は長い傾向にあるという報告すらあります。6)それにもかかわらず、多くの人たちが風邪をひいたら風邪薬を飲もう考えるのです。

また葛根湯は経験的医療体系に基づくものです(※注2)。その効果が実際にどの程度のものなのか、証明した報告はやはり少なく、冒頭紹介した研究結果に基づけば、総合感冒薬と概ね同等と言えそうです。しかしながら、そのいずれを選んでも、効果を実感できる人、その医療に満足する人も数多くいるという事も現実としてあり、多くの場合で現代の日本の医療とはこのような構造の上に成立しています。

経験的な医療、病態生理学的知見に基づいた医療、臨床試験の結果に基づいた医療、何が正しい医療なのか、僕にはいまだその答えが出ていません。ただ一つ言えるのは、正しい医療など存在しない、正しいかどうかは、その社会的思想や価値観、すなわち医療に対する常識が決めるという事です。

[参考文献]
1) Intern Med. 2014;53(9):949-56. Epub 2014 May 1. PMID: 24785885
2)日本の歴史04 平城京と木簡の世紀 講談社学術文庫 講談社2001
3)日本糖尿病学会「糖尿病治療ガイド2012-2013 血糖コントロ―ル目標改訂版」
4) N Engl J Med. 2008 Jun 12;358(24):2545-59 PMID:18539917
5) BMJ. 2011 Nov 24;343:d6898. PMID:22115901
6)Intern Med. 2007;46(15):1179-86. Epub 2007 Aug 2. PubMed PMID: 17675766

(※注1)
決して臨床試験が無いわけではありません。(BMC Infect Dis.2013 Nov 22;13(1):556 PMID:24261438)で報告されているようなRCTもあります。しかしながら、複数の研究を見渡せば、(Cochrane Database Syst Rev.2012 Feb 15;2:CD004976 PMID:22336807Cochrane Database Syst Rev. 2012 Aug 15;8:CD001831. PMID: 22895922等)その効果はわずかであるか、もしくはばらつきも多く、著明な効果を期待できるとは言えません。

(※注2)
異論もあるかとは思いますが、臨床疫学統計学的知見に基づく体系との相対的な意味においての経験的な医療ということです。


「僕たちの医療 正しい医療とは何か」は平成26年に開催された濁流賞にて入賞し、城西大学「ものを書く会」が発行する部誌「再灌流」に掲載されました。ブログ掲載記事は城西大学「ものを書く会」の許可を得て転載したものです。なお転載にあたり注釈を付け加え、引用文献は、参考文献として本文末にまとめました。