[お知らせ]


2013年11月8日金曜日

病気を生み出す構造

[機能性ディスペプシア]
機能性ディスペプシア(FD functional- dyspepsia)とは、胃の痛みや胃もたれなどのさまざまな症状が慢性的に続いているにもかかわらず、内視鏡検査などを行っても、胃潰瘍・十二指腸潰瘍や胃がんなどのような異常がみつからない病気といわれています。
日本消化器病学会によれば、「みぞおちの痛み、食後の膨満感などの上腹部症状を訴え、内視鏡検査などで症状を説明しうる逆流性食道炎や胃・十二指腸潰瘍などの器質的疾患が無い例を機能性ディスペプシアと呼ぶ」としています。また、「これまで、気のせい、神経性胃炎と言われていたこれらの症状を訴える人はじつは極めて多いこと、生活の質=QOL(クォリティ オブ ライフ)が著しく低下していることが明かとなり、治療する臨床的意義は極めて大きい」そうです。簡単にいえば、検査では器質的異常を認めないにもかかわらず胃腸症状がある疾患ということでしょうか。機能性ディスペプシアの診断基準は本邦において明確なものはなく、さしあたってはROME Ⅲという海外での診断基準をもとに診断が勧められていくと思います。

ROME Ⅲ基準]
胃・十二指腸領域に由来すると考えられる症状のうち、以下の症状のうち1つ以上があり上部内視鏡検査等で器質的疾患が確認されないこと
※「つらいと感じる食後のもたれ感」
※「早期飽満感」
※「心窩部痛」
※「心窩部灼熱感」
及び「6ヵ月以上前から症状があり、最近3ヵ月間が前記基準を満たしていること」

早期飽満感とは食事開始後すぐにおなかいっぱいになってしまい、それ以上食べられなくなる感じのことです。

機能性ディスペプシア、従来はどのように取り扱われていたのでしょうか。
慢性胃炎と診断される時には主に3つのケースが存在するといます。
■胃内視鏡検査により粘膜傷害や血管透見所見が認められた時
▶内視鏡的に「慢性胃炎」(内視鏡的胃炎)
■組織生検により慢性的な炎症細胞の浸潤がみられた時
▶病理組織学的に「慢性胃炎」(組織学的胃炎)
■内視鏡的に明らかな器質的疾患が認められないにもかかわらず、患者が胃もたれ、胃痛、胸やけなど心窩部を中心とした症状を訴える場合
▶臨床的に「慢性胃炎」(臨床的“胃炎”)
機能性ディスペプシアは従来、慢性胃炎として取り扱われてきました。

[病気を生み出す構造]
ソシュールの言語学について、僕はそれほど多くを知りません。ただ、言語学は病気とその現象という構造に迫るときにとても示唆に富む考え方だと思います。そしてあらためて言葉の恣意性が浮き彫りになります。
ソシュールによれば、言語記号はシニフィアンとシニフィエに分けられるといいます。たとえば「イヌ」という言語はinuという音声=“シニフィアン”と、その意味としての「犬」というイメージ=“シニフィエ”に分けられるというのです。聴覚イメージをシニフィアン、そして概念をシニフィエと呼びます言語においてシニフィアンとシニフィエの結合は、完全に恣意的です。
たとえば犬という客観的に存在する事実をたまたまinuと呼ぶようになったということからも言葉の恣意性が見えてくるかと思います。イヌは日本語ですが、英語ではdogです。したがって犬というシニフィエが直接的にイヌというシニフィアンに結び付いているわけではありません。

また重要なのは犬、山犬、狼という言語があった時、それぞれのシニフィアンに対応するシニフィエを持っていると考えられますが、たとえば山犬という言語概念が消えてしまっても、客観事実である山犬そのものが消滅するわけではありません。山犬というシニフィアンが消えてしまったら、犬と狼に対応するシニフィエが山犬をカバーするだけです

つまり言葉とは既に客観的に存在する事実に僕らが名前をつけたものではないということです。事実の秩序はむしろ人のイメージが作り出したものにすぎません。
したがって病気の「現象」という客観的事実において、それらの現象そのものに病名があるというよりはむしろ、ヒトのイメージが「病気」を編み上げるという構造が見え隠れするのです。

従来慢性胃炎(シニフィアン)として存在していた概念は同じ現象(シニフィエ)にも関わらず、新たなシニフィアンである「機能性ディスペプシア」という言語概念(疾患概念)が生まれました。ここは病気を生み出す構造の非常に重要なポイントだと思いますのでもう一度整理してみます。先に紹介したROME Ⅲ基準に該当するのが疾患の減少(概念=シニフィエ)です

[シニフィエ=疾患概念、症状]
胃・十二指腸領域に由来すると考えられる症状のうち、以下の症状のうち1つ以上があり上部内視鏡検査等で器質的疾患が確認されないこと
※「つらいと感じる食後のもたれ感」
※「早期飽満感」
※「心窩部痛」
※「心窩部灼熱感」
及び「6ヵ月以上前から症状があり、最近3ヵ月間が前記基準を満たしていること」

従来はこれらの症状を慢性胃炎や逆流性食道炎あるいは胃食道逆流症などとして取り扱ってきました。この慢性胃炎や逆流性食道炎などの病名がシニフィアンに相当するものだと考えると、今回、このような疾患概念から新たに機能性ディスペプシアというシニフィアンが生み出されたと考えることもできます。またROME Ⅲ基準に挙げられている症状を見ていくと器質的疾患がなく患者の主観的な症状のみというものすごく曖昧な基準ということも分かります。
これだけならば、それ以上でもそれ以下でもないような気もしますが、問題はそう単純でもありません。

[新しい病気と新しい薬]
本年3月アコチアミドという新しい薬剤が薬価収載されました。世界初の機能性ディスぺプシア治療薬と謳いプロモーションされた薬剤です。世界初の機能性ディスペプシア治療薬…。新たな疾患概念の登場とともに新たしい薬が誕生しました。今までにない病名に対する適応を持つ唯一の薬剤ですので、まあ世界初というのは当然でしょうが、疾患概念自体は従来の慢性胃炎や逆流性食道炎となんら変わるところがありません。さらにものすごく曖昧な主観的な疾患症状がはたして病気なのかどうか、診断基準を見れば見るほど、これは病気なのかどうかよくわからなくなってきます。そしてそれのみに適応を持つ薬剤を作ることで病気のイメージを具体化している構造に見てとれます。

メーカーがプロモーションに使用しているアコチアミドの臨床成績は主要評価項目として、投与終了時の「被験者の印象」および「食事関連症状3症状の消失率」を検討したランダム化比較試験です。このアウトカム設定がそもそも妥当なものなのかすら僕には良くわかりません。
A placebo-controlled trial of acotiamide for meal-related symptoms of functional dyspepsia.
統計的有意差が出ているようですが、この主観的なアウトカムが実臨床でどの程度意味のあるものなのだろうかと思います。薬価の高いこの新薬が従来の治療薬をしのぐほどのものなのでしょうか。


アコチアミドはセチルコリンエステラーゼを阻害することで、コリン作動性神経終末から遊離させるアセチルコリンの分解を抑制し、胃前庭部及び胃体部におけるアセチルコリンによる収縮や運動を増強させ、機能性ディスペプシア患者における胃前庭部の運動亢進作用や、胃運動低下改善作用が期待できるとしています。薬理作用から言えば、下痢の副作用なども心配されますが、何よりも従来療法となにがどう異なるのか、従来の疾患概念とその治療と比べてどの程度の臨床的意義が存在するのかはよくよく検討せねば、アコチアミドを生み出したメーカーとそれを巻き込むよう作成されるであろうガイドラインというレールに乗ってどこまでも機能性ディスペプシアという病気が新たな薬剤の市場を作り上げることになります。曖昧な現象から病名への言語化。そして疾患としてあたらし薬の市場が出来るこの流れを、認知症=ドネペジルの構造と重ねてみてしまうのは僕だけでしょうか。アコチアミドの保険上適応症は機能性ディスペプシアのみです。慢性胃炎での適応は厳密にはありません。これはメーカーがアコチアミドをプロモーションして売り上げが上がるほど機能性ディスペプシアという病気の有病率が上昇することを意味しています。曖昧な身体不条理という現象に対して言葉が病名を生み出し、薬が病気を具体化する。特にプライマリケアで遭遇するような曖昧な病気を生み出す構造の多くはコトバの恣意性と概念を具体化する医薬品市場やガイドラインというマテリアルが複雑に交錯して編みあげられる、そんな気がします。

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