[お知らせ]


2013年2月18日月曜日

Evidence Based Medicine実践のための大切な言葉

僕の、EBMの基本的な考え方とか、統計的な知識とかワークショップへ参加して勉強することが多いですが、知識的な部分の多くは独学によるものです。それ故、誤った解釈や本質を理解していない部分も多々あり、疫学や統計学などは体系的にしっかり勉強しなくてはいけないなと感じているところです。

TwitterFacebook 等のSNSsocial networking serviceを通して学ぶことも大変多く、教えていただく先生方には本当に感謝しております。SNSは情報更新がとても速く、教えていただいたことがタイムラインからあっという間に消えてしまいます。僕にとって大切な言葉の多くはSNSのタイムライン上にあります。僕の言葉ではありませんので、ここにまとめてしまうことは大変ためらわれました。しかしながら、言葉が消えないように、いつでも読み返したい、という思いから、そのまま引用することを避け、その言葉を基に学んだことを中心に、僕なりに解釈を加えながら、まとめさせてください。問題などありましたらご連絡いただければ幸いです。

RCTで得られた所見のみが科学的真実であるといわれることも多いが、臨床の現場において、薬剤の実効性を「精確」に映し出すことができるのはむしろ観察研究である。ランダム化比較試験は薬剤の承認を得るための手段であり、それ以上でもそれ以下でもない。

エビデンスの妥当性を考えたときに特に薬剤の治療効果はランダム化比較試験などの介入研究の結果を重視しがちではありますが、むしろ観察研究こそ重要と教えていただきました。この言葉の本質を理解するにはまだまだ僕の勉強不足です。ランダム化比較試験では未知の交絡因子をも補正できるのに対して、観察研究は調整できる交絡因子が限られています。ただ、調整しきれないところに、アウトカムに対する真の評価が得られている気がします。薬剤効果はプラセボ効果を含めて臨床上に現れます。臨床試験という箱庭環境で、人為的にバイアスを補正したとされる結果が、この自然界に当てはまるかどうかはむしろ未知数であると考えます。たとえ95%信頼区間というもので示したとしても、5%は外れてしまうわけです。外れてしまった5%について、考えてみることも必要かもしれません。バイアスを補正したと思っているところに案外落とし穴があるのかもしれません。

■試験の妥当性も大事だが、アウトカムの妥当性は、さらに大事である。

エビデンスの批判的吟味、特にランダム化比較試験ではランダム化されているか?、患者背景は同等か?盲検化、隠蔽化されているか、統計解析は脱落を加味しているか?などその妥当性評価はとても重要です。しかしながらその論文が何を評価したのか、つまりプライマリアウトカムの妥当性こそ重要であるということです。死亡や脳卒中、心筋梗塞などのハードエンドポイントは必ずしも重要なアウトカムであることを示しているわけではなく、症状スコアなどのソフトエンドポイントの方がむしろ患者のQOLを反映させている可能性があり、どのような場合でも真のアウトカムか?という問いには、単に結果の評価における妥当性を検討するだけでなく、本当に患者にとって必要とするアウトカムなのか、よく検討するようにしたいと思います。(ソフトエンドポイントにPROBE法が採用されているランダム化比較試験では総合的な妥当性評価に難しい問題もありますが、そういった論文でもアウトカムの妥当性は熟慮したいと思います。)

■「有効な治療」は統計学的に示されるわけではない。それは現象そのものを扱うことでしか示すことができない。

まだ僕にはその言葉の本質は理解できていません。ただエビデンスが示す有効な治療とは統計的に有意ということであり、患者さんにとって必ずしも有効ではないということかもしれません。病気という現象そのものの取り扱い方がとても重要なんだと思います。不健康という、ものも含めて健康という問題を扱わねばいけない気がします。有効な治療とされる指標の代表的なものが、統計的に示される死亡減少です。しかしながら、どのような薬も死亡は減らすことはありません。死亡を減らすとは先送りするということを示しています。死亡が先送りされるとは病気が長引くことかもしれません。先送りすることのメリット、デメリットをよく考えたいと思います。

■ごくごく当たり前と思われることも、本当は議論が分かれていたり、意外な研究結果が出ていることもある。本当にその治療が適切なのか常に疑問を持ち続けることが大切。

EBMそのものの根本的な考え方だと思います。血糖値を下げることが、良いアウトカムを生みだすのか?、血圧を下げることで患者は幸せになれるのか?それ以前に薬は症状に対して効果があるのか?ごくごく当たり前のことを当たり前のこととせず、その真意を見極めるために勉強し続けたいと思います。

■診断にあたって重要なことの一つに、そもそも診断しない方がいいという場合もある。

薬剤師に直接関係があるかどうかわかりません。でも医療を考えるうえでとても重要な視点だと思います。糖尿病の早期発見、健康診断、特定健診、乳がん検診。病気の早期発見が本当に重要なのか。早期発見で失うもの、それを考えることはとても大事だと思いますし、それを上回る利益が医療によって持たされるのかを常に意識したいと思います。また病気を発見して、寿命が延びたとして、伸びた人生をどう生きるか。重要な問題です。延びた寿命をどう生きるか、カプランマイヤーが突き付けるこの問題はとてつもなく難題に思えます。

■将来起こり得る心筋梗塞や脳卒中がQOLに与えるインパクトを患者さんに想像していただくのは治療方針を決定する比較的健常な段階ではかなり困難な作業である。

エビデンスを読んでいると、その治療効果が定量的に把握でき、この治療は良さそうだと医療者が思ったとしても、それを患者さんに伝えることは非常に難しいです。エビデンスプラクティスギャップ、その原因が集約された言葉だと思います。将来起こり得るリスクと、薬剤により得られるベネフィットのインパクトを想像するのは患者さんにとって、とても困難であること、それ以上に何が重要なのかを探さなくてはいけない、ということを忘れないようにしたいものです。

■医学的介入は必ずしも患者さんのQOLを改善しない。

この言葉はある意味で衝撃的でした。薬学部の授業では、少し言いすぎですがQOLを改善するためにこのような薬物治療を行うのです!みたいな感じでした。しかしながら、そもそも薬物治療自体がQOLを低下させるということを忘れてはいけません。通院にかかる時間、医療費、したくもない食事制限や運動、医療機関受診にかかる手間など総合的に考えれば医療を受けない方が、いや語弊があるかもしれませんが、誰だっておいしいものを食べて、自分の好きなことに時間を使いたい。そう思うと考えます。医学的介入で得られる利益がどの程度のものなのか、これは本当によく考えないといけないと思います。

「統計的に有意な差がある」等に代表されるエビデンスを表現する言葉は、案外、元の現象とのギャップが大きいかもしれない

論文の結果について定量的に把握することはとても大事ですが、その定量的に示された結果というものは実際の現象としてとらえたときには案外問題にならないほどのことかもしれないということかもしれません。論文の結果を相対リスクだけで判断しないよう心がけたいです。

■医療介入や薬物治療が科学的ではない場合に、宗教や詐欺と区別できるのか?

少なくともそれを判断できるリテラシーを僕は持ち合わせていません。EBMは科学的根拠に基づく医療と訳されることが多いですが、科学的根拠に基づかない医療が存在するということの裏返しなのかもしれません。

エビデンスが役に立つかどうかではなく、エビデンスを使う自分が患者の役にたてるかどうかである。

ただ論文を読んでその批判的吟味をするだけなら自己学習に終わってしまいます。論文を読んで妥当かどうか吟味できたら、結果は何か、どの程度のリスクあるいはベネフィットなのかをよく検討し、それがはたして本当に役に立つのか、妥当か、何か、役に立つかのステップを踏め、教えていただきました。エビデンスを読んで、その通りにすることがEBMなのではなく、今まさに目の前にいるこの患者にどういう医療を提供するのが良いのだろうか、その思考過程行動こそがEBMなのだと思います。

最後にBMJからSackett先生の言葉

EBMとは個々の患者の医療判断の決定に、最新で最善の根拠を、良心的かつ明確に、思慮深く利用することSackett DL et al.:BMJ,312:71,1996.

僕にとってはとても大事な言葉の数々です。先生方から教えていただいたこと、頂いた言葉を何度も読み返しながら、これからも薬剤師のEBMを模索し続けたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿