[お知らせ]


2013年11月8日金曜日

病気を生み出す構造

[機能性ディスペプシア]
機能性ディスペプシア(FD functional- dyspepsia)とは、胃の痛みや胃もたれなどのさまざまな症状が慢性的に続いているにもかかわらず、内視鏡検査などを行っても、胃潰瘍・十二指腸潰瘍や胃がんなどのような異常がみつからない病気といわれています。
日本消化器病学会によれば、「みぞおちの痛み、食後の膨満感などの上腹部症状を訴え、内視鏡検査などで症状を説明しうる逆流性食道炎や胃・十二指腸潰瘍などの器質的疾患が無い例を機能性ディスペプシアと呼ぶ」としています。また、「これまで、気のせい、神経性胃炎と言われていたこれらの症状を訴える人はじつは極めて多いこと、生活の質=QOL(クォリティ オブ ライフ)が著しく低下していることが明かとなり、治療する臨床的意義は極めて大きい」そうです。簡単にいえば、検査では器質的異常を認めないにもかかわらず胃腸症状がある疾患ということでしょうか。機能性ディスペプシアの診断基準は本邦において明確なものはなく、さしあたってはROME Ⅲという海外での診断基準をもとに診断が勧められていくと思います。

ROME Ⅲ基準]
胃・十二指腸領域に由来すると考えられる症状のうち、以下の症状のうち1つ以上があり上部内視鏡検査等で器質的疾患が確認されないこと
※「つらいと感じる食後のもたれ感」
※「早期飽満感」
※「心窩部痛」
※「心窩部灼熱感」
及び「6ヵ月以上前から症状があり、最近3ヵ月間が前記基準を満たしていること」

早期飽満感とは食事開始後すぐにおなかいっぱいになってしまい、それ以上食べられなくなる感じのことです。

機能性ディスペプシア、従来はどのように取り扱われていたのでしょうか。
慢性胃炎と診断される時には主に3つのケースが存在するといます。
■胃内視鏡検査により粘膜傷害や血管透見所見が認められた時
▶内視鏡的に「慢性胃炎」(内視鏡的胃炎)
■組織生検により慢性的な炎症細胞の浸潤がみられた時
▶病理組織学的に「慢性胃炎」(組織学的胃炎)
■内視鏡的に明らかな器質的疾患が認められないにもかかわらず、患者が胃もたれ、胃痛、胸やけなど心窩部を中心とした症状を訴える場合
▶臨床的に「慢性胃炎」(臨床的“胃炎”)
機能性ディスペプシアは従来、慢性胃炎として取り扱われてきました。

[病気を生み出す構造]
ソシュールの言語学について、僕はそれほど多くを知りません。ただ、言語学は病気とその現象という構造に迫るときにとても示唆に富む考え方だと思います。そしてあらためて言葉の恣意性が浮き彫りになります。
ソシュールによれば、言語記号はシニフィアンとシニフィエに分けられるといいます。たとえば「イヌ」という言語はinuという音声=“シニフィアン”と、その意味としての「犬」というイメージ=“シニフィエ”に分けられるというのです。聴覚イメージをシニフィアン、そして概念をシニフィエと呼びます言語においてシニフィアンとシニフィエの結合は、完全に恣意的です。
たとえば犬という客観的に存在する事実をたまたまinuと呼ぶようになったということからも言葉の恣意性が見えてくるかと思います。イヌは日本語ですが、英語ではdogです。したがって犬というシニフィエが直接的にイヌというシニフィアンに結び付いているわけではありません。

また重要なのは犬、山犬、狼という言語があった時、それぞれのシニフィアンに対応するシニフィエを持っていると考えられますが、たとえば山犬という言語概念が消えてしまっても、客観事実である山犬そのものが消滅するわけではありません。山犬というシニフィアンが消えてしまったら、犬と狼に対応するシニフィエが山犬をカバーするだけです

つまり言葉とは既に客観的に存在する事実に僕らが名前をつけたものではないということです。事実の秩序はむしろ人のイメージが作り出したものにすぎません。
したがって病気の「現象」という客観的事実において、それらの現象そのものに病名があるというよりはむしろ、ヒトのイメージが「病気」を編み上げるという構造が見え隠れするのです。

従来慢性胃炎(シニフィアン)として存在していた概念は同じ現象(シニフィエ)にも関わらず、新たなシニフィアンである「機能性ディスペプシア」という言語概念(疾患概念)が生まれました。ここは病気を生み出す構造の非常に重要なポイントだと思いますのでもう一度整理してみます。先に紹介したROME Ⅲ基準に該当するのが疾患の減少(概念=シニフィエ)です

[シニフィエ=疾患概念、症状]
胃・十二指腸領域に由来すると考えられる症状のうち、以下の症状のうち1つ以上があり上部内視鏡検査等で器質的疾患が確認されないこと
※「つらいと感じる食後のもたれ感」
※「早期飽満感」
※「心窩部痛」
※「心窩部灼熱感」
及び「6ヵ月以上前から症状があり、最近3ヵ月間が前記基準を満たしていること」

従来はこれらの症状を慢性胃炎や逆流性食道炎あるいは胃食道逆流症などとして取り扱ってきました。この慢性胃炎や逆流性食道炎などの病名がシニフィアンに相当するものだと考えると、今回、このような疾患概念から新たに機能性ディスペプシアというシニフィアンが生み出されたと考えることもできます。またROME Ⅲ基準に挙げられている症状を見ていくと器質的疾患がなく患者の主観的な症状のみというものすごく曖昧な基準ということも分かります。
これだけならば、それ以上でもそれ以下でもないような気もしますが、問題はそう単純でもありません。

[新しい病気と新しい薬]
本年3月アコチアミドという新しい薬剤が薬価収載されました。世界初の機能性ディスぺプシア治療薬と謳いプロモーションされた薬剤です。世界初の機能性ディスペプシア治療薬…。新たな疾患概念の登場とともに新たしい薬が誕生しました。今までにない病名に対する適応を持つ唯一の薬剤ですので、まあ世界初というのは当然でしょうが、疾患概念自体は従来の慢性胃炎や逆流性食道炎となんら変わるところがありません。さらにものすごく曖昧な主観的な疾患症状がはたして病気なのかどうか、診断基準を見れば見るほど、これは病気なのかどうかよくわからなくなってきます。そしてそれのみに適応を持つ薬剤を作ることで病気のイメージを具体化している構造に見てとれます。

メーカーがプロモーションに使用しているアコチアミドの臨床成績は主要評価項目として、投与終了時の「被験者の印象」および「食事関連症状3症状の消失率」を検討したランダム化比較試験です。このアウトカム設定がそもそも妥当なものなのかすら僕には良くわかりません。
A placebo-controlled trial of acotiamide for meal-related symptoms of functional dyspepsia.
統計的有意差が出ているようですが、この主観的なアウトカムが実臨床でどの程度意味のあるものなのだろうかと思います。薬価の高いこの新薬が従来の治療薬をしのぐほどのものなのでしょうか。


アコチアミドはセチルコリンエステラーゼを阻害することで、コリン作動性神経終末から遊離させるアセチルコリンの分解を抑制し、胃前庭部及び胃体部におけるアセチルコリンによる収縮や運動を増強させ、機能性ディスペプシア患者における胃前庭部の運動亢進作用や、胃運動低下改善作用が期待できるとしています。薬理作用から言えば、下痢の副作用なども心配されますが、何よりも従来療法となにがどう異なるのか、従来の疾患概念とその治療と比べてどの程度の臨床的意義が存在するのかはよくよく検討せねば、アコチアミドを生み出したメーカーとそれを巻き込むよう作成されるであろうガイドラインというレールに乗ってどこまでも機能性ディスペプシアという病気が新たな薬剤の市場を作り上げることになります。曖昧な現象から病名への言語化。そして疾患としてあたらし薬の市場が出来るこの流れを、認知症=ドネペジルの構造と重ねてみてしまうのは僕だけでしょうか。アコチアミドの保険上適応症は機能性ディスペプシアのみです。慢性胃炎での適応は厳密にはありません。これはメーカーがアコチアミドをプロモーションして売り上げが上がるほど機能性ディスペプシアという病気の有病率が上昇することを意味しています。曖昧な身体不条理という現象に対して言葉が病名を生み出し、薬が病気を具体化する。特にプライマリケアで遭遇するような曖昧な病気を生み出す構造の多くはコトバの恣意性と概念を具体化する医薬品市場やガイドラインというマテリアルが複雑に交錯して編みあげられる、そんな気がします。

2013年11月4日月曜日

お知らせ:第3回薬剤師のジャーナルクラブ

3回薬剤師のジャーナルクラブを開催いたします!

ツイキャス配信日時:平成251117日(日曜日)
■午後2045分頃 仮配信
■午後2100分頃 本配信
なお配信時間は90分を予定しております。

※フェイスブックはこちらから→薬剤師のジャーナルクラブFaceBookページ
※ツイキャス配信はこちらから→http://twitcasting.tv/89089314
※ツイッター公式ハッシュタグは #JJCLIP です。
ツイキャス司会進行は、精神科薬剤師くわばらひでのり@89089314先生です!
ご不明な点は薬剤師のジャーナルクラブフェイスブックページから、又はツイッターアカウント@syuichiaoまでご連絡下さい。

症例3. 喘息の吸入薬はずっと使っていても安全ですか?

[仮想症例シナリオ]
あなたは薬局で勤務する薬剤師です。喘息の治療で通院している30代の男性患者さんから質問を受けました。

「今年の春に喘息の状態が悪くなってから、今までのステロイドの吸入から、2つの成分が配合されたこの吸入薬(サルメテロールとフルチカゾンの合剤)になったんだけど、これはよく効くね。今はもう何ともないよ。でもかれこれ半年以上使っているんだけど、こういう薬ってずっと使っていても問題ないのかな?」

この患者さんは喘息以外に特に合併症もなく症状も今は比較的落ち着いているとのことでした。あなたは早速サルメテロール/フルチカゾン合剤吸入薬の添付文書を広げてみました。すると“その他の注意”の項目にちょっと気になる情報が記載されていました

「本剤の有効成分の1つであるサルメテロールについて米国で実施された喘息患者を対象とした28週間のプラセボ対照多施設共同試験において、主要評価項目である呼吸器に関連する死亡と生命を脅かす事象の総数は患者集団全体ではサルメテロール(エアゾール剤)群とプラセボ群の間に有意差は認められなかったものの、アフリカ系米国人の患者集団では、サルメテロール群に有意に多かった。また副次評価項目の1つである喘息に関連する死亡数は、サルメテロール群に有意に多かった。なお吸入ステロイド剤を併用していた患者集団では、主要及び副次評価項目のいずれにおいてもサルメテロール群とプラセボ群の間に有意差は認められなかった」

患者さんは時間に余裕があるとのことで、あなたは添付文書の引用文献から原著論文を手に入れ10分で簡単に読んでみることにしました。

[実際に論文を自分で検索してみよう!]
まずは、この薬剤師のようにアドエア®の添付文書を見てみましょう。添付文書中の「その他の注意」を見てみてください。シナリオにある通りの記載が見つかると思います。
“本剤の有効成分の1つであるサルメテロールについて米国で実施された喘息患者を対象とした28週間のプラセボ対照多施設共同試験1
というわけで引用文献1)を確認します。添付文書の最後の方に主要文献1)があります。
Nelson,H.S.,et al.Chest,129,15-262006」これをマウスでコピーします。
その次に新しいタブでPubMedを開いてみましょう。Pubmedとは国立医学図書館(National Library of Medicine)が作成しており、世界約70カ国、約4,800誌(200412月現在)に掲載された医学文献を検索できるデータベースです。Pubmedの検索ボックスに先ほどコピーしたNelson,H.S.,et al.Chest,129,15-262006」をペーストして貼り付けます。検索ボックス右のサーチをクリックすると論文が出てきます。画面右上のCHEST FULL TEXTをクリックすることでジャーナルへアクセスでき、ここから論文のPDFがダウンロードできます。

[文献]
Nelson HS et al The Salmeterol Multicenter Asthma Research Trial: a comparison of usual pharmacotherapy for asthma or usual pharmacotherapy plus salmeterol.
Chest. 2006 Jan;129(1):15-26. PMID:16424409

フルテキストPDF

なおワークシートは薬剤師のジャーナルクラブオリジナルのものを使用します。
http://2.bp.blogspot.com/-clIkBOVVGfk/UjW8olB-HiI/AAAAAAAAAIg/5UQ8DGNRZl0/s1600/RCT10分.png


薬剤師のジャーナルクラブ(Japanese Journal Club for Clinical Pharmacists:JJCLIPは臨床医学論文と薬剤師の日常業務をつなぐための架け橋として、日本病院薬剤師会精神科薬物療法専門薬剤師の@89089314先生、臨床における薬局と薬剤師の在り方を模索する薬局薬剤師 @pharmasahiro先生、そしてわたくし@syuichiao中心としたEBMワークショップをSNS上でシミュレートした情報共有コミュニティーです。

2013年11月1日金曜日

2型糖尿病の心血管イベントは低用量アスピリンで予防できるか? ~第2回、薬剤師のジャーナルクラブを終えて~

2回、薬剤師のジャーナルクラブが無事に終了いたしました。
詳細はこちらをご参照ください⇒お知らせ:第2回薬剤師のジャーナルクラブ
録画ラジオはこちらから⇒ライブ履歴 - 89089314
薬剤師のジャーナルクラブ公式face bookはこちら⇒JJCLIP


2型糖尿病における心血管イベント予防効果、特に今回は一次予防について論文を読みながら考えていきました。ご視聴いただきました皆様ありがとうございました。おかげさまで今回もたくさんの学びがありました。その一部を整理しながらまとめて今回の総括としたいと思います。
まずは論文のPECOから簡単におさらいです。
PPatient
どんな患者に?
動脈硬化性疾患の既往を有しない30歳から85歳の2型糖尿病患者2539人(平均年齢64.5歳、男性54.5%)
EExposure
どんな治療や検査をすると?
アスピリン(81mg又は100mg/日)の投与
CComparison
何と比べて?
プラセボの投与
OOutcome
どんな項目で検討?
非致死的・致死的虚血性心疾患、非致死的・致死的脳卒中・末梢動脈疾患などの動脈硬化性疾患の複合アウトカム

[PROBE法について]
この試験では2重盲検ではなくオープンラベルでの試験でした。ただのオープンラベル試験ではなく、アウトカム評価者をマスキングしたPROBE prospective, randomized, openlabel,blinded, end-point)法という試験デザインが採用されていました。PROBE法のポイントを以下にまとめます。

[PROBE法のポイント]
PROBE法はオープンラベル試験なので患者や医師はどちらの治療群に割り付けられているか知っている
PROBE法はランダム化とアウトカム評価者へのマスキングでバイアスを制御している
PROBE法はプラセボを用いることがないので2重盲検よりも比較的コストが安い
■現実問題2重盲検が不可能な試験もある(スタチンなどでは血液検査でのコレステロール値から実薬かプラセボか判明してしまう可能性がある)
■プラセボ効果も含めて効果を検討⇒2重盲検が治療そのものの効果を検討しているのに対してPROBEは臨床において治療全体の評価に適している
PROBE法では主観的なアウトカム(心不全による入院等)は適していない
PROBE法では客観的なアウトカム(死亡、脳卒中発症等)を採用すべき
PROBE法における複合アウトカムでは主観的なアウトカムが含まれていないか注意する

オープンラベル試験なので例えば、実薬群でない患者さんは自分が薬を飲んでいないことを知っています。新薬を飲まないからなんとなく体調がすぐれない、ちょっと胸が苦しい、これは狭心症じゃないか、やっぱり薬飲んでないからかも…。入院した方が良いのではないだろうか…。というわけで「狭心症による入院」、というアウトカムは何らかの形で薬とは関係のない影響を受ける要素を持ちます。主観的なアウトカムはPROBE法には適していません。バイアスを完全にコントロールすることが難しくなるからです。

[論文の結果と有意差検定]
この論文の主な結果は以下のような感じでした。
「動脈硬化性疾患発症はE群で9.6%はC群で11.8%でありE群はC群に比べて20%低い傾向にある」
アウトカム
E

C

ハザードリスク
[95%信頼区間]
動脈硬化性疾患複合アウトカム

68/1262
5.4%)
13.6/1000人年
86/1277
6.7%)
17.0/1000人年
0.80
[0.581.10]
ここから計算されるNNTは追跡中央値4.37年で77人。年間NNT295人と計算されます。絶対差は1.3%です。ハザードリスクは20%減る傾向にあるものの有意差が出ていません。Table2を見ると12個のアウトカムが並んでおり、冠動脈疾患・脳血管疾患死亡のみに有意差がついています。統計的有意差を示すP値は0.0037と言う数字です。これは有意差があって有効という事でしょうか。ハザードリスクを見ると90%も減らすという事になっています。
通常、多重検定を行うと有意水準が甘くなります。簡単に言えば有意差検定を何度も繰り返していれば偶然有意差が出てしまうという事です。今回このTable2では12個のアウトカムに対して有意差検定をかけています。有意水準が0.05だとすれば差が無いのに偶然に有意差が出る確率は48.6%にもなり、0.05を基準とした有意差ありと言うものに意味がなくなってしまいます。0.05と言う数字は原則プライマリアウトカムについてのみ適用できる数字なのです。
このように多数のアウトカムの有意水準について簡易的に決める目安としてボンフェローニ補正と言うものがあります。有意水準0.05を検定したアウトカムの数で割るのです。
この場合12個のアウトカムですから有意水準は簡易的に0.05/12=0.004と計算でき、そう考えれば0.037と言う数字は補正後も有意差ありと言えそうな気もします。しかしながら冠血管疾患と脳血管疾患の複合と言うアウトカムはあらかじめ設定されたプライマリアウトカムでは無いので、結果的に有意差が出そうなもの同士を組み合わせたいいとこ取りかもしれません。(このようなアウトカム設定を個人的に後出しじゃんけんと呼んでいます。ピオグリタゾンの有名な試験にこのような手法を用いて有意差を出していいた論文がありました…)いずれにせよ、プライマリアウトカムではないこの結果が決定的になることは通常はなく、あくまで仮説生成に過ぎません。
「どんなに素晴らしい答えであっても、もとの質問は何だったのか…。」という事を忘れないようにしたいものです。

[サブグループ解析]
論文の結果は平均的な患者群についての平均的な結果です。平均的な患者ではどうなるのかというデータがこのままでは実際の患者さんに適用させることは難しいことも多いはずです。そんなときサブグループ解析を利用して考えてみるのも一つの方法かもしれません。サブグループ解析とは性別や、年齢、喫煙の有無などでグループ分けして解析するもので、どういった年齢でより効果が得られるか、もしくはリスクがあるかなど、細かに検討した解析です。例えば、この論文で言えば65歳以上の男性で禁煙できない人にはもしかしたら効果があるかも知れない…。と考えてみるのはどうでしょうか。サブ解析には以下のような落とし穴があります。
[サブグループ解析の落とし穴]
■多数のサブ解析が行われれば偶然有意差がつく(αエラー:差が無いのに差があるとしてしまう。理屈は先ほどの多重検定と同じ)
■サブグループごとに症例数が少なくなりアウトカム検出力が低下する(βエラー:差があるのに差が無いとしてしまう。理屈は後述するサンプルサイズ不足と同じ)
■サブ解析は有意差が出やすく出にくい⇒プライマリアウトカムで有意差が出ていない時はサブ解析の結果をもって有効とすることは避けるべき。あくまで仮説生成
製薬企業のパンフレット等ではプライマリアウトカムに有意差が出ていなくても、セカンダリアウトカムや、いいとこ取りアウトカムで有意差が出たことを強調したり、サブ解析の結果しか載せないという事もしばしばあります。だからプライマリアウトカムが明確に設定されているかどうかを確認するとこは非常に大切です。
ちなみにサブ解析はとりわけリスクを評価するときに有効です。どんな患者のグループでよりリスクが高いか。安全性や有効性を評価するよりも危険性を評価する際の目安として活用できます。

[プライマリアウトカムとサンプルサイズ]
プライマリアウトカムとしてしっかり明記されていない場合はサンプルサイズ計算されたアウトカムをプライマリアウトカムとして考えて良いと思います。サンプルサイズとは簡単に言えば臨床試験に最低限必要な症例数のことです。具体的には以下の要素で決められています。
[サンプルサイズ計算を行う際に必要な要素]
■検出するべき効果の差(効果量)
■1つの群における効果の推定値
■統計的有意水準α
■期待する統計学的パワー(1-β)
■片側検定か、両側検定か
この論文では「Sample Size Calculation」のところに記載があります。
2-sided α level of .05, a power of 0.95, an enrollment period of 2 years, and a follow-up period of 3 years after the last enrollment, we estimated that 2450 patients would need to be enrolled to detect a 30% relative risk reduction for an occurrence of atherosclerotic disease by aspirin
アスピリンによる動脈硬化性疾患発症の相対リスク減少が30%を見込むには両側検定でα0.05、統計学的パワー0.952450例の症例が必要と書かれています。動脈硬化性疾患発症というアウトカムに対してきちんとサンプルサイズ計算されていることが分かります。またサンプルサイズよりも症例数が少ない場合、実際には差があっても差が出ないことがあります。(βエラー:パワー不足)有意差がない時は、効果不明、もしくは症例が少なくて結果が検出できないという2通りが考えられます。この試験では対象患者は2539人でありサンプルサイズを上回っているため、βエラーの可能性は低そうです。

[エビデンスの取り扱い方]
結果的にこの論文の「結論」ではその有効性を否定するものでもありませんが、心血管イベントを低用量アスピリンでは抑制できなかったと結論しています。薬による有害事象(脳出血や胃腸障害)の問題もあります。基本的に1次予防効果を減少させる傾向にあるけれども明確に得られる治療法かどうかは分からないという可能性が見えてきました。この報告は2008年のものです。その後新たな研究結果が出ているかもしれません。あるいは2次予防ではどうなのでしょうか。EBMの最終ステップは一連の流れの再評価です。EBMの実践は試行錯誤の繰り返し、一つのエビデンスが役に立つかではなく、エビデンスを利用する自分自身が患者の役に立てるかどうかを自問することが大切だと教わりました。

臨床試験には様々な制約があります。理想的なデザインで行われないことの方が実際は多いです。PROBE法には確かにバイアスが入り込む余地が多いかもしれません。しかしながらバイアスを指摘し避難しても何も前に進みません。バイアスがあってもそれが手に入る限り最良のエビデンスであればバイアスを考慮したうえで、活用していくのがEBMだと思います。絶対的に妥当性の高いエビデンスがあればもちろん良いですが、それにこだわるよりも相対的に優れたエビデンスをどう用いるか、絶対的な思考から相対的な思考へ、エビデンス取り扱い方をまた一つ学ぶことができました。

薬剤師のジャーナルクラブ(Japanese Journal Club for Clinical Pharmacists:JJCLIPは臨床医学論文と薬剤師の日常業務をつなぐための架け橋として、日本病院薬剤師会精神科薬物療法専門薬剤師の@89089314先生、臨床における薬局と薬剤師の在り方を模索する薬局薬剤師 @pharmasahiro先生、そしてわたくし@syuichiao中心としたEBMワークショップをSNS上でシミュレートした情報共有コミュニティーです。

2013年10月30日水曜日

統計学お勉強日記③~臨床試験で用いられる統計解析~

これは僕の勉強整理メモです。間違え等ございましたらご指摘ください。
今までのお勉強日記はこちらです。


[2つの結果の比較をどうするか]
統計的有意性を検定(統計学お勉強日記②を参照)するには様々な手法がありますが、なかなか理解しにくい用語もあり、その全容をつかむのは困難です。また統計的有意差は実は手法により意図的に生み出すことができるという側面も持ち、とりあえずエビデンスを活用するという観点からすれば、統計的手法をどう理解するかではなく、どのような場合にどのような統計手法が適しているかを把握するだけで十分だと個人的には思います。僕が理解できた範囲で、今回は実際の臨床試験に用いられている統計解析手法についてまとめてみます。まずはパラメトリックとノンパラメトリック、から確認です。

パラメトリック(正規分布する):症例数が多くばらつきが少なければ正規分布しやすくなります。この場合パラメトリックStudent t-testPaired t-testが使用可能です。このような検定では比較的有意差がでやすいといわれています。

ノンパラメトリック(正規分布しない):症例数が少なく、ばらつきが大きければ正規分布しにくくなります。この場合Mann-Whitney‘s U testWilcoxon signed-rank testを用います。正規分布に従うか迷う場合はノンパラメトリック解析を選択すべきと言われています。有意差が出にくいノンパラメトリック解析を用いることで、有意差の過大評価を避けるためです。

では具体的に対応のある場合、対応のない場合とパラメトリックかノンパラメトリックかで、どのような検定手法を用いればよいかまとめます。

「対応のある」…投与前後比較など、同一個体の2種類の観測値を比較検定。薬を飲む前と後で変化はあるのか?
■パラメトリック:Paired t-test:対応のあるt検定
対応するデータの差の平均値が0からどの程度偏っているかを検定する方法です。
■ノンパラメトリック: Wilcoxon signed-rank test:ウィルコクソン符号付順位検定
データの分布形態を問わずに使うことができ、正規分布の適合性が不明な場合はこちらを用いるのが無難といわれています。
「対応のない」…2群の平均値の比較など、同一でない2種類の観測値を比較検定。独立した2群のデータに有意差があるか?
■パラメトリック:Student t-test:スチューデントのt検定
平均値を比較して検定します。症例数が多く、ばらつき(2群の分散が一緒)が均一なときに使います。
■ノンパラメトリック:Mann-Whitney‘s U test:マン・ホイットニ検定(MWU)
中央値を比較して検定します。症例数が少なく、ばらつき(2群の分散が一緒)が異なるとき使います。正規分布に従うかどうか不明な場合はこちらを用いるのが無難だそうです。

[χ2乗検定:χ2 test]
2群間が0-1型の(あり、なし)データの場合、χ2 testを用います。例えば男女比(男=1、女=0)喫煙歴(あり、なし)や疾患既往歴(あり、なし)など。比較的簡単に計算できるχ2乗検定ですが、繰り返し検定を行うと偶然有意差が出やすくなる確率(αエラー:本当は差が無いのに差があると判断してしまう)が出やすくなります。

[2つ以上の結果を比較する…分散分析]
例えばABCDEFという6種類の医薬品の比較をすべて行う場合、6C2=15通りの比較を行うことになりますが、有意水準5%で繰り返し仮説検定を行うとする。15通りの比較の中で少なくとも1回以上有意となる確率は1-(1-0.05)150.5367で約54%となってしまいます。このように2群間同士を繰り返し多重検定すると有意差が出やすくなるため(αエラーの増大)、多重検定を行うのはナンセンスです。このような場合に分散分析という手法を用います。分散分析ANOVAとは、3群以上の平均値間比較を行う方法です。
■対応のない3群間の検定
パラメトリック:One way ANOVA
ノンパラメトリック: Kruskal-Wallis test
■対応のある3群間の検定
パラメトリック:One way repeated measures ANOVA
ノンパラメトリック: Friedman test

[Kaplan-Meier法の生存曲線]
Kaplan-Meier法の生存曲線は、ある因子の有無で分けた2群において、死亡までの期間または観察打ち切りまでの期間を表します。死亡するまでの時間だけでなく、イベントが発生するまでの時間(癌再発や心筋梗塞発症など)にも使用できます。また、打ち切りが扱えるのが生存分析の利点といわれています。 打ち切り例とはエンドポイントに至っていない追跡症例のことで 観察期間を終わった時点で生存している症例や他の原因で死亡した症例消息不明例などです。打ち切りが多いと問題があることもあり、特に消息不明例の場合には死亡の可能性も含みデータの信頼性が低くなることがあります。Kaplan-Meier法において、2群間の差は、Log-rank test(全期間を通じての生存曲線の差を比較するノンパラメトリック検定)あるいは一般化Wilcoxon検定で行われます。

[多変量解析(Multivariate analysis]
「多くの個体について、2つ以上の測定値(身長や体重、年齢、病期、BMI、教育水準など)がある場合、これらの変数の相互関連を分析する方法の総称」です。独立変数(x) とは、学歴、病状分類、性別など結果:y に影響を与える因子のことをさします。従属変数(y) とは、生存の有無、発症の有無など、xの影響による結果の値、結果の状態をさします。

■独立変数(x)結果yに影響を及ぼすと考えられる様々な因子。
■従属変数(y)生存の有無や発症の有無等の結果の値。

結果の値(従属変数:y)に対して複数の因子(独立変数:x)の影響を知りたい場合に多変量解析を使います。主にCox回帰比例ハザード分析、ロジスティック回帰分析、重回帰分析などが使用されます。

Cox回帰比例ハザード解析
時間的要素を考慮しなければならず、従属変数が0-12値型(ある、なし)の場合にもちいます。試験デザインは主にランダム化比較試験やコホート研究などで採用されていることが多いです。従属変数(y)イベントが起こった群(1)と起こらない群(0)の2群に対して、時間的要素も考慮して複数の独立変数(x)の影響度合いを解析する方法で、相対危険はハザード比で表されます。
ロジスティック回帰分析
  時間的要素がなく、従属変数が0-12値型(ある、なし)の場合、例えば症例対照研究などで用います。1つの従属変数(y)に対して複数の独立変数(x)の影響度合いを解析する方法で相対危険はオッズ比で近似されます。
重回帰分析
時間的要素がなく、従属変数(y)が点数、身長、採血値などの量的データ、独立変数(x)も量的データの場合(2値ではなく連続値)に用いられます。連続値を解析する手法なので重大なアウトカム発症の有無などを検討する重要な臨床試験に用いられることは稀です。

Cox 回帰とロジスティック回帰の比較してみます。共通点としてリスク因子がエンドポイントの発生確率を何倍引き上げるのかを示す推定値を算出できます。ロジスティック回帰ではオッズ比(補足参照)、 Cox 回帰ではハザード比で求められます。ロジスティック回帰では、観察開始後一定期間以内に起きたエンドポイント発生の有無のみが情報として用いられるため、エンドポイント発生までの時間的要素はありませんが、Cox 回帰では、エンドポイント発生までの期間がモデルに組み込まれているため、観察期間全体を通しての時間的要素のある比較が行われます。

[ランダム化比較試験での統計解析例]
例えば2群間の死亡リスクを統計解析する場合
■生存率の推定・・・Kaplan-Meier法の生存曲線を用いた生存率の推定
■生存率の差の検定…Log-rank test
■相対危険の推定…Cox回帰比例ハザード解析
インパクトのある重要なランダム化比較試験では時間の経過による死亡有無のような2者択一アウトカムという例が多いため、このような3段階がオーソドックスな統計手法と言えます。論文の結果の表から発生率を用いて直接相対リスクを算出しても最終的なハザードリスクと微妙に一致しないのはこのような統計解析による調整がなされているためです。コホート研究でも同様の手法が採用されていることがあるようです。コホートもランダム化がされていないだけで、時間の経過と2者択一アウトカムという試験デザインが可能だからです。一方で症例対象研究では、既にアウトカムの発症あり、なしを集めていますので時間の経過は関係ありません。この場合ロジスティック回帰モデルが用いられます。特に症例対象研究では条件付きロジステック回帰分析と言う手法が用いられるようです。

(補足)オッズ比とは
オッズ比とはある事象が起こる確率と起こらない確率の比です。たとえば宝くじが当たる確率が10%としましょう。当たらない確率は90%ですからオッズ比は
10/100-10%)=0.11となります。
オッズ比は相対リスクと同じように関連を示す指標として使用できます。要因と疾患の関連がなければオッズ比は1となり、要因への暴露が疾患の増加と関連すれば1よりも大きくなり、逆に疾患が減少すれば1よりも小さくなります。
以下の症例対照研究の例をもとに肺癌は喫煙と関連するのか推定します。

肺癌あり(ケース)
肺癌なし(コントロール)
喫煙あり
80
20
喫煙なし
20
80
この例ではケースにおいて喫煙への暴露割合は80%でした。
ケースにおける要因へのオッズ比は80/204
またコントロールでは喫煙への暴露割合は20%でした。
コントロールの要因へのオッズ比は20/800.25
したがってこの研究でのオッズの比は4/0.25=16となります。

肺癌あり(ケース)
肺癌なし(コントロール)
喫煙あり
a
c
喫煙なし
b
d
簡単にケースとコントロールのオッズ比を公式化すると

オッズ比=a×d / b×c となります 80×80/20×2016となりますね。たすき掛け比なんて呼ばれています。

2013年10月25日金曜日

大規模臨床試験SAVORに思う。

手元にサキサグリプチンに関する講演会の案内が届きました。都合上参加できないのですが、あわせて欧州糖尿病学会におけるSAVOR試験の報告を、まとめたパンフレットがついていたので読んでみて思う…。

[サキサグリプチンはプラセボに比べて優れた薬剤か?]
SAVORDPP4阻害薬であるサキサグリプチンの安全性及び有効性をプラセボと比較した臨床試験です。あらためて原著論文を今読んでいます。
対象患者はHbA1c16.5%~12.0%の2型糖尿病患者の中でも40歳以上で心血管疾患を有する患者、または55歳以上の男性もしくは60歳以上の女性で心血管リスクを有する患者16492人でその平均年齢65.1歳でした。平均BMI30を超え、かなりハイリスクな糖尿病患者を対象にしていたことが分かります。この試験は心血管死亡、非致死的心筋梗塞、非致死的虚血性脳卒中の複合アウトカムを検討しており、このようなハイリスク患者が対象となっているにも関わらず、その効果はプラセボと同等と言う結果でした。
O
サキサグリプチン
8280
プラセボ
8212
ハザード比
[95%信頼区間]
心血管複合アウトカム
613
7.3%)
609
7.2%)
1.00[0.891.12]
(危険率P=0.99

この試験結果は20139月にスペインで開催された欧州糖尿病学会で報告されました。それに基づいたメーカー作成の資料を見ると、サキサグリプチンは「心血管イベントの非劣性を証明」と見出しをつけています。

臨床試験で検証すべきアウトカムは事前に仮説を立てます。薬の効果を検証しているので、この場合サキサグリプチンがプラセボに比べて優れた薬剤かを検証するのが常識的に考えて妥当だと思います。
「仮説①:サキサグリプチンは心血管イベント抑制においてプラセボよりも優れた薬剤である。」
統計的にこの仮説が有意(偶然ではない。95%信頼できる仮説である)であるという事を示したい場合、ちょっとややこしいのですが、以下のような仮説を否定することで示します。
「仮説②:サキサグリプチンは心血管イベント抑制においてプラセボと同等である」
プラセボと同等であるという仮説を否定することでプラセボよりも優れた薬剤であるという仮説を採用するのです。否定される仮説、この場合仮説②を帰無仮説、それに対立する仮説①を対立仮説と言うのでした。
ちなみに危険率P値は帰無仮説が成立する確率を示しており、従って、この試験を常識的に解釈すれば、P0.99ですから、仮説②が成立する確率は99%という事になり、仮説②を棄却できず、
仮説①は保留されることになります。この場合「サキサグリプチンは心血管イベント抑制においてプラセボよりも優れた薬剤であるかどうかは分からない」となります。

[サキサグリプチンのプラセボに対する心血管イベントの非劣性を証明?]
メーカーの言うところによれば「心血管イベントの非劣性を証明」となっています。意味するところは「サキサグリプチンは心血管イベント抑制においてプラセボよりも優れた薬剤であるかどうかは分からない」と同じような気もしますが、だいぶ印象が異なります。非劣性とは治療群が対照群に比べて、少なくとも劣っていないかを検証するデザインで、通常は両方とも実薬を用いることが多いと思います。例えばサキサグリプチンはメトホルミンにくらべて心血管イベントが少なくとも劣っていない=メトホルミンに非劣性、と言うような感じです。心血管イベントの非劣性とは聞こえがいいですが、何と比較しているのかが問題です。対照はプラセボなんですよ、この試験。「サキサグリプチンのプラセボに対する優越性は認められなかったものの非劣性が証明された」というのは、「効果はプラセボよりも優れてないかもしんないよ、でもさ、少なくともプラセボとおんなじ効果という事だね。」という意味不明な負け惜しみを言っているだけに聞こえます。

この試験では安全性に対して
仮説①:サキサグリプチンはプラセボに比べて心血管イベントリスクが高い。
という対立仮説に対して帰無仮説は
仮説②:サキサグリプチンはプラセボに比べて心血管イベントリスクは同等である。
と言う感じになっています。
P0.99ですから99%の確率で仮説②が成立することになり、棄却できません。すなわちサキサグリプチンはプラセボに比べて心血管イベントリスクが高いかどうかは分からないと言う結果になり、サキサグリプチンは少なくともプラセボに比べて心血管イベントリスクは高くないという解釈になっています。メーカーが強調しているのはこの部分です。仮説①をよく考えるとプラセボよりも心血管イベントリスクが高いという仮説が前提となっており、そうなると、もはやこれは薬ではない気もします。ましてや糖尿病治療の真のアウトカムである心血管リスクがプラセボよりも高くなるという仮説を設定すること自体…。サキサグリプチンを服用すればHbAc1の低下が期待できることはわかりますが、血糖を下げるだけなら、いくらでも安い薬が存在しますし、より有効性が期待できる可能性のある薬剤が存在します。

[サキサグリプチンは本当に安全な薬か?]
そればけならば、まだましかもしれません。この試験では当然有害なアウトカムも報告されています。主要なものを以下にまとめます。

O
サキサグリプチン
8280
プラセボ
8212
ハザード比
[95%信頼区間]
心不全による入院
289
3.5%)
228
2.8%)
1.27
[1.071.51]
重度の低血糖

177
2.1%)
140
1.7%)

P0.047
総死亡

420
4.9%)
378
4.2%)
1.11
[0.961.27]

心不全による入院は統計的に有意に増加しています。これに対してメーカーのパンフレットでは血中NT-pro BNP濃度による層別解析のデータを持ちだして、ややこしな言い訳をするとともに心不全による死亡は増加させていないと締めくくっています。入院リスクを増加させるけど死亡は増やさないから、血中NT-pro BNPが低ければそれほど心配はいらないよ、という風にも受け取れる記載ですが、まあ一応パンフレットには「慎重に検討する必要がある」と結論しています。

心不全による入院というアウトカムはその重症度が加味されておらず、軽症例や無症候性を見逃している可能性もあり、リスクの過小評価を行っている可能性があります。また死亡は増やさないと言っていますが、そんなことはこの試験からは分からないという可能性が高いです。

Xの法則と言うのがあります。ある頻度のイベントを検討する際に、最低どれくらいの症例が必要かを簡易的に決める法則です。100人に1人の副作用を検討するには症例として300人必要という感じです。したがって10000人に1人の割合で発生する副作用の検討には30000人の症例が必要なのです。この試験の症例は16492人ですから検出できる副作用は約5500人に1人、すなわち0.02%以上の頻度で起こる副作用のみです。対象患者の平均年齢から考えても心不全による死亡リスクを検出するには症例が不足している可能性が十分に考えられ、ランダム化比較試験ではその検出に限界があると考えられます。その程度の頻度なら問題ないのでは…という事はこの薬に限ってはあり得ません。何せ有効性がプラセボと同等なんですから。またこの報告では以前より懸念されていた膵炎の副作用に明確な差は無いとしていますが、この法則に当てはめてみれば、そんなことはこの試験からは分からないという事がお分かりいただけるでしょう。膵炎リスクに関しては過去に因果関係を示唆した報告があります
(参考)DPP4阻害薬(およびGLP-1作動薬と急性膵炎リスクの関連(症例対照研究)
Glucagonlike Peptide 1-Based Terapies and Risk of Hospitalization for Acute Pancreatitis in Typ 2 Diabetes Mellitus. JAMA inten Med.2013;()6 doi:10.1001

当然ながら重度の低血糖はサキサグリプチンで多く報告されました。メーカーパンフレットによれば併用薬別の解析を持ち出してややこしなことになっていますが、何はともあれ、有効性に関してはプラセボと同等の有効性の薬剤ですから…。また重度の低血糖は死亡リスクに関連するなど軽視できない副作用です
(参考)重症低血糖で心血管リスクは有意に増加
Severe hypoglycemia and cardiovascular disease: systematic review and meta-analysis with bias analysis BMJ 2013;347:f4533 PMID:23900314
(参考)重症低血糖と死亡リスクは有意に増加
Association of Clinical Symptomatic Hypoglycemia With Cardiovascular Events and Total Mortality in Type 2Diabetes: A nationwide population-based study. Diabetes Care. 2013 Apr;36(4):894-900 PMID:23223349
そして総死亡リスク、これは有意差こそついていないものの増加傾向にあることが示されています。これが本当に安全な薬なのか、メーカーはきちんと説明すべきでしょう。

[この試験の結果をどう活用すべきか]
メーカーパンフレットによればサキサグリプチンの高い安全性が期待できるころを示したものであると言える、としているのですが、僕の考えはだいぶ異なります。ただ少なくともDPP4阻害薬に示唆されていた心血管イベント抑制効果は怪しいものとなったことが明確にわかります。
(参考)DPP4阻害薬と心血管疾患の関連を検討したメタ分析
Dipeptidyl peptidase-4 inhibitors and Cardiovascular risk : a meta-analysis of randomized clinical trials Diabetes Obes Metab.2013 Feb;15(2):112-20PMID:22925682
Meta-Analysis of Effect of Dipeptidyl Peptidase-4 Inhibitors on Cardiovascular Risk in Type 2 Diabetes Mellitus Am J Cardiol. 2012 Jun 14[Epub ahead of print]PMID:22703861
したがって、サキサグリプチンを含むDPP4阻害薬を積極的に使用すべき根拠は不明確となった点は非常に重要です。サキサグリプチンに関しては心不全による入院リスクという有害アウトカムが見え隠れしています。さらに重度低血糖や増加傾向にある死亡リスク…。サキサグリプチンの高い安全性どころか、リスクベネフィットのバランスがとれておらず、積極的に使用すべきではない根拠として重要である論文と言えましょう。


メーカーによるSAVORを用いたプロモーションが動き出しています。本当に安全性の高い薬剤なのか冷静に考えるとともに、糖尿病の治療は血糖値を下げるだけではなく、真に必要な有効性は心血管イベント抑制効果、そして新薬の高いコストを考慮に入れたとき、本当にこの薬剤が患者にとって必要なのか、僕は常々考えたいと思います。高い薬を飲んで心不全入院リスクや低血糖が増えて、心臓病も減らせないのなら、安くて比較的心血管イベント抑制を示唆されている薬を飲んで、余ったお金で温泉でも行った方が良いと思うのです。また、そもそも薬は必要か、糖尿病とはなにか、基本的なところで、その問いを重視したいと思います。