[お知らせ]


2013年4月5日金曜日

「現象」から「病気」へ。そしてそのリスクを考える


[真のアウトカムと代用のアウトカム]
医療における介入というものを改めて考えたときに、真のアウトカムとか代用のアウトカムとか、そういった考え方やとらえ方はとても重要だと思います。いつものように2型糖尿病を例にとると、「血糖値が下がった」は代用のアウトカムであり、血糖値をコントロールすることで「健康寿命が延びた」=「死亡が統計的に減った」というものが真のアウトカムに相当するものだととらえることができます。[1]いいかえれば、糖尿病において血糖コントロールを行うのは“手段”ととらえるべきで、それは“目的”ではありません。しばしばこのことを忘れがちになっていることも多いですが病気というものを考える上で、とても重要なポイントです。

[病気とは何なのか]
病気とは何でしょうか。血糖値が高いことが病気なのでしょうか。現在の診断基準ではHbA1cが6.5%以上で、なおかつ空腹時血糖値が126mg/dl以上であれば糖尿病と診断されることになります。たとえばHbA1c6.4%で空腹時血糖値が125mg/dlであれば厳密には2型糖尿病とはなりません。下の表でAさんは糖尿病という“病気”ですがBさんは糖尿病ではありません。ただ両者の臨床検査値はほとんどおなじに見えてしまうのは私だけでしょうか。診断基準という線引きを行うと病気とそうでない人との境界が見えてきます。ただその境目前後の人たちは病気だろうが病気でなかろうが、似たような「現象=この場合血糖値が高い、HbA1cが高い」を有しています。

空腹時血糖値
HbA1c
病名
Aさん
127mg./dl
6.6
2型糖尿病
Bさん
125mg/dl
6.4%
境界型

逆にいえば、診断基準が無ければ糖尿病は病気ととらえることができなくなり、単に血糖値が一般集団より高い現象であり、任意のタイミングのみで見れば、それ以上でもそれ以下でもないといえます。なぜ糖尿病という病気が必要なのか。それは血糖コントロールという手段を失うことで将来的に透析に移行してしまうとか、失明してしまうとか、そういった合併症を防ぐ目的で診断し糖尿病として治療を模索するために便宜上言語化しているのであって、血糖コントロールが目的なのではありません。血糖コントロールは合併症の抑制を期待するための手段でしかないことを強調しておきます。
また糖尿病はいつのタイミングで糖尿病とすべきか。血糖コントロールはどう行えばよいのか。明確な答えが実はあまりよくわかっていないということが大事です[1][2
ある体に現れる現象、たとえば血圧が高いとか、熱があるとか咳があるとか、そういった現象と病気というもの、両者の関係を軽視すべきではないと考えています。同じ「現象」だとしても、診断基準が国ごとに違えば、ある国では病気だがある国では病気ではなくなります。また診断基準の診断範囲が広くなれば今まで病気でなかった人が病気となります。

[風邪の取り扱い方]
風邪という現象を考えてみます。僕は今までの勤務経験で、念のための抗菌薬と思われるものも本当に多く見てきました。明らかにウイルス性が疑われている[3]のに抗菌薬、こういった場合に薬剤師としてどう対応すればよいか僕は明確な答えが出せないままにいます。疑義をかけるべきなのでしょうか。ウイルス性だと思うので、抗菌薬を投与しないほうがよいのではないでしょうかと提案すべきなのだと思います。万が一肺炎などになったらどうするんだ、と怒られるかもしれませんし、淡々とそのまま出してくれと言われるかもしれません。風邪の外来患者で抗菌薬が出ているから疑義紹介したという事例を僕はまだ知りません。薬剤師が介入すべきことではないということかもしれません。なぜなら病気の診断は薬剤師の仕事ではないからです。ウイルス性か細菌性か薬剤師のお前に判断が明確につくのか、と言われれば返す言葉はありません。ただ薬剤師として仕事を続けていると抗菌薬で二次感染リスクを回避しているつもりが、薬剤アレルギーなどの副作用を生み出すことは本当にまれではないということです。風邪で病院へ行き、抗菌薬の副作用で急患センターへかかり、そんな事例を見てきました。薬をのめば万が一でも安心なのでしょうか。万が一肺炎になった場合のリスクと抗菌薬の薬剤アレルギーリスク。リスクの価値観は奥が深いとおもいます[4]。抗菌薬はしっかり飲みきりましょう。とよく言われます。しっかり飲むことが最良の臨床判断なのか。僕はずっと疑問でした。風邪をこじらすリスクと薬剤アレルギーを起こすリスクはトレードオフであると思います。こういった、現象に対してある介入をすること。そのリスクの捉え方。薬剤師はもうひとつこのような視点で医療を眺めて見ることで、その存在に旨味が増す気がします。なにもしないことと、何かすることは等しくリスクであるという側面を掘り下げたいと思います。

[万が一に備えることは大事なのか]
病気とは今まで見てきたように体に何らかの現象があり、それを言語化したものです。たとえば鼻水がひどく、喉の痛み、咳もでていて熱もある。このような現象(症状)を「風邪」と言語化します。すると風邪という病気を取り扱うことになります。
ここで、鼻水とか咳とか発熱などの現象を言語化し病気とすることで、その現象に対するリスクの価値観がうみ出されます。これは医療者もそうですが、患者さんも同様です。たとえば風邪をこじらしてしまうと重篤な肺炎になってしまうかもしれない。それに対してリスクをどうすれば軽減できるかという思考で薬を使用すべきか(飲むべきか)、はかりにかけます。このような思考手順であるとするならば、病気に対するリスクの価値観が先行していることが多いのではないかと僕は考えました。だから薬がそのリスクを低下させるという側面だけが太字にるのかもしれません。ここで、薬を何も投与しないことと、薬を投与することのリスクを天秤にかける思考が欠落しやすいわけです。だから僕らは病気という現象そのものを本当にもっとよく知らないといけないとおもいます。何もしないことのリスク、何かすることのリスクについて十分な知識がないと、万が一そうなったらどうする、に対して返す言葉が無くなります。ゼロリスクを求めることは不可能[4]なので万が一というのは薬を出した場合にも言えるということかもしれません。

[薬剤師とリスク態度的思考]
今まで述べてきたように、何も薬を使わないリスクと薬を使うリスクをどう取り扱うか、という思考(リスク態度的思考)は市販の総合感冒薬を購入する時にもかなり重要な因子として、決して軽視すべきではないと思います。薬剤師が病気の診断にかかわることはありませんが、市販の総合感冒薬を進めるべきかどうかという判断にも大きく関わってきます。総合感冒薬を服薬するリスクと何も薬を飲まないリスクを考えることは薬剤師にも必要なスキルです。また、医療用医薬品で使用されてきた脂質異常症の改善薬であるエイコサペント酸エチルがOTC医薬品として発売を控えています。本当にこのような薬剤が患者に必要かどうか、という思考が大切です。身近なところで風邪を例に話を進めてきましたが、患者さんの風邪に対するリスクの価値観という要素もまた取り扱いが難しいですね。風邪に対する価値観は本当に難しいです。風邪が薬で早く治るという根拠はないということを患者さんにも分かってもらう必要があるのと思います。僕はこのような考え方をもっと掘り下げながら、何もしないことのメリット、デメリットを学びながら、医療とのかかわり方を模索していきたいと考えています。

[参考]
[1] 地域医療の見え方:薬の効果を考える。
[2] 地域医療の見え方:病気の早期発見と5年生存率
[3] 地域医療の見え方:薬剤師の視点で見る風邪の考え方
[4] 地域医療の見え方:リスクの価値観

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